【詩】 18時30分



活力に満ちた教授を尻目に
僕は時計を見ていた。

時計の意識はどこにあるのだろう。
長針か、短針か。
歯車か、文字盤か。
電池だろうか。
それとも、設計図だろうか。

その機構を理解することができない愚かな僕には
彼の活動を
急かすことも
疑うことも
許されていない。


何やら難しい話をしている教授は
希望に満ちた優しい言葉を
最後に添えた。
僕らくらいの若造には
丁度いい美談だった。

顔を動かすと
白髪が微かに踊る。
額の皺は
積み重ねた経験の痕だ。

今の話は何回目の披露だったのだろう。
僕らのような若者を
何人も送り出したことのあるあの人は
美しい言葉をいくつも持っている。

その滑らかな語り口調に抱いた違和感は
どこに仕舞えば良いのだろう。


窓の外に目をやると
退屈そうな青年がこちらを窺い見ている
それは僕が
誰よりも知っている青年で
歪んだ背筋が頼りない。

爪を噛むこと
愉快でないのに笑うこと
訳もなく交流を避けること
それらは臆病な彼なりの、遠回りな自傷行為である。

指先や
口角や
魂に
刻み込まれた醜い防御創を
誰にも発見されないように
彼はひっそりと背を丸め
視線を泳がせているのだ。


間も無く
時計の三針が重なる
教授はますます語り続ける
窓に映った虚像は次第に輪郭を強めてゆく。

次は何について考えよう。
退屈しのぎの連想は
いくら重ねても
空想の域から出ようとしない。


6時半の教室で
今日という日に
飽き始めている僕だけが
この空間の全てであるかのように思われた。




大学4回生の時に書いた詩です。
もう進路が決まって、大学に来る理由はわざわざ探さないと見つからない。そんな時期。

ボッチライフを楽しんでいた僕にとって、同級生との別れは淡々と処理され、深い悲しみや感傷を残すこともありませんでした。

もう少し活発に過ごしていたら、卒業式で写真を撮るくらいしたかもしれない。
しかし、仮にもう一度学生生活をやり直す機会があったとしても、僕は同じようにボッチで過ごすんだろうな。という確信があります。

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