[詩] 蝉時雨
風を浴みに外へ出た。
風は街を滑走する
その摩擦によって
大気は熱を帯びていた
無数の塵を巻き上げて
仄白く霞んで見える
背筋を伸ばしたコンクリート壁に囲まれながらも
葉緑の中に
密かに蒼を携えて
その樹は立っている。
天を掴むように広げた身体でも
掬いきることができなかった光が
木漏れ日となり
僕の顔の皺を増やした。
その木漏れ日の収束地点で
茶色い樹幹に紛れながら
一匹の蝉が哭いている。
土の中で眠る仲間の目を覚まし
その仲間を淘汰するために。
彼はその矛盾に気づいていない。
ただ頑なに
空っぽの身体を反響させる。
その腹が満たされることは無い。
数日も経てば
蝉の声は街中を反響し
我々から春を奪った。
ざぁざぁと
蝉が哭いている
その声が遠くなるころに
僕は一つ歳をとる。
人混みの中
「置いていかないで」と
泣く少女の声は
雨音のようだ
僕等はいつしか
人間らしい音しか出せなくなった。
最後に
声をあげて泣いたのはいつだろう。
僕は間もなく就職し
堅実な大人になるのだろう
来年もまた
この場所に来よう。
固く冷たい土の中で
深い眠りについた僕を
起こしてくれ
蝉時雨よ。
『蝉時雨』という言葉が好きです。個人的には,『桜吹雪』に並ぶハイセンスな日本語だと思っています。
時雨は冬の季語ですが,枕に「蝉」が付くと夏の季語になる。その矛盾しているようでどこかしっくりとくる組み合わせに類稀なるセンスを感じます。また,5文字なのもポイント高いです。恐らく,季節を詠むために生み出された言葉なのでしょう。
因みに,日本人は『蝉の声』という表現をしますが,これは日本人特有の感性だそうです。外人は蝉の鳴き声を右脳(車の排気音や音楽と同じ非言語野)で処理しているのに対し,日本人は左脳(人の声と同じ言語野)で処理しているそうです。
持って生まれた感性ってやつですかね。大切にしたいです。
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