見出し画像

帰省

久々の休みに、親に会いに行った。


生まれも育ちも名古屋だが、親と兄は長野の田舎に住んでいるので、親に会う際は名古屋ではなく長野に行くのが決まりになっている。

僕以外の家族が長野に住んでいるからだろうか。名古屋に帰る時よりも、長野に行く時の方が「帰ってきたなぁ・・・」感が強い。実家感覚は家や土地ではなく、家族に宿るものかもしれない。



仕事終わりに東京駅から2時間半くらいかけて上田駅に行き、そこから父の運転で家まで向かう。
車の助手席に乗るのも久しぶりだった。
『仕事の調子はどうだ?』
という父の問いかけを無難な言葉で躱しながら、僕は「帰ってきたなぁ・・・」としみじみと感じた。

家までの40分間、僕は夜闇に埋もれた田園風景を頭の中で補完しながら過ごした。東京で暮らし始めてから、こんな暗闇を久しく見ていないという事にその時始めて気がついた。



家に着くと、母親が開口一番、
『太った?』
と聞いてきた。「帰ってきたなぁ・・・」と思いながら、僕は
『見ての通り。』
と返した。
『わからん』
と、母。
『じゃあ俺もわからん』
と、僕。
もはや恒例となったやりとりを機械的に処理し、僕は靴を脱いだ。


居間へ行くと、どうやら兄も顔を見せていたらしい。
『お。』
という挨拶に
『うぃ。』
と返した時も、「帰ってきたなぁ・・・」と頭の中で声が響いた。


家族4人揃って夕飯を食べ、酒を飲んで赤くなった親父を横目に、興味のないテレビを観る。僕はもうその裏側を知ってしまっているから、今までのように無心で楽しむことができなくなった。

次第にどのチャンネルも単調なアナウンサーの声ばかりを流すようになり、退屈になってきたので、一週間前から飼い始めたという仔猫2匹に遊んでもらう事にした。


その仔猫は、産まれついての性質か、初めて会った僕にも容易に腹を見せた。
その無防備な姿を見て湧き出た感情は、僕は東京での生活の中で長らく欠けていた『癒し』と呼ばれる感覚であった。
『恋人』や『推し』と呼べるような人がいない僕にとって、この2匹の存在が今後、僕の『癒し』を担うのだろう。
「東京に帰った頃には、心に猫型の穴が二つ空いているんだろうなー」と思った。


深夜12時になると、僕以外の3人と2匹は床についた。「帰ってきたなぁ・・・」と思った。そういえば僕も昔は朝型の人間だった。
僕は仕事が残っていたので、そこから1時間半くらい黙々と作業した。「昨日も徹夜していたから、明日は昼過ぎまで寝ていよう。」そんな虚しい決意を胸に、やがて僕も床についた。
深夜3時のことだった。


翌日。朝の9時。僕は母親に叩き起こされた。
僕が「帰ってきたなぁ・・・」とか思うよりも先に、母は
『10時から美容院予約したから髪切ってきなさい!!!』
と言った。

何か文句を言おうとしたが、呂律が回らない。ウダウダしている間に、母は仕事に向かった。
美容院の予約をキャンセルして、二度寝をキメようと思ったが、美容院の電話番号は愚か名前もわからない。

「帰ってきたなぁ・・・」と思った。「勘弁してくれ・・・」とも。



お手本のような母親ムーブに絡め取られてから2時間後。僕はソフトモヒカンになっていた。
『バイオ6のピアーズみたいですね!』
という美容師の言葉に、「お前が切ったんだろ!」とか内心思いながら、
『そうっすねー。イイ感じです。』
と返した。

もう髪型とかどうでもいいから眠りたかった。


家に戻り、少し昼寝した後、僕は猫と戯れた。仕事はまだ残っていたが、僕にはまだ癒しが欠けていた。仕事は帰りの新幹線内でやればいい。この仔たちと遊べるのは今日だけなんだ。
帰りの新幹線の時刻は刻一刻と迫っていた。


結局、僕は予定の時刻を1時間後ろにずらして、子猫と遊んだ。
夕方には東京の自宅に着いて仕事に取り掛かるつもりだったが、徹夜することを前提にすれば、まだこの仔たちと遊んでいられる。ならば答えは一つだろう。
ここ数日、自分が寝不足で悩んでいた事はすっかり記憶から抜け落ちていた。



帰りの新幹線で、僕は撮った写真を眺めた。
写真や動画を撮る習慣が無いからか、フォルダにある数十のデータはもれなくピントがボケており、画角がめちゃくちゃだった。

僕がこのまま正しく成長すれば、カメラを構えて人や動物を撮る機会が出てくるだろう。そんな未来に一抹の不安を抱いた。


『将来』、『仕事』、『失態と後悔』、『無能』、『不誠実』、『尊敬と軽蔑』、、、

新幹線に揺られながら、僕は様々な言葉を連想した。
それらの言葉は、できたばかりの猫型の穴で反響した。
東京に近づくにつれて、その反響が大きくなってゆくのを感じながら、目を瞑り、接続していないBluetoothイヤホンで耳を塞ぎ、確かめるように眠りについた。


『帰ってきてしまったなぁ………』
薄れゆく意識の中、僕は溜息混じりに呟いた。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?