【詩】 整列
正しさというものが
人を豊かにするとは限らないのに
大人は「気をつけ」を強いる言葉を好む
ある日に時間をかけて整理した背の順の待機列は
休み明けにはすっかり塗り替えられていた
かつて自分の前後に立っていた同級生の姿を見つけても
そこに僕の居場所はない
周りを見渡して
自分と同じくらいの背丈の同級生を見つけるのが
この時僕たちに課せられた使命であり
まるで握手でもするかのように
互いの背筋を寄せ合った
僕らは正しい順番を探り
先生の「気をつけ」の言葉にどこか
新しい響きが加わっているのを感じながら
落ち着かない行列の中
見慣れないつむじを眺めている
時折後ろで声があがる。
誰々と誰々の順番が逆だと。
すると僕らは一斉にその2人を取り囲む
2人の背中をくっつけて
それぞれが見解を述べる
「髪が長いだけだ」とか
「顎を引いていない」とか
「上履きの踵を踏んでるからやり直し」とか
ただ僕らは
正しさなんて知らないから
大人を模倣する形でしか
言葉を選ぶことができない
やがて賑わいを嗅ぎつけた先生が
正しい順番を押し付けにくる
僕らの主張は通るはずもない
雑多で
頼りなくて
主観に寄り添いすぎている
多角形の論理は
すっかり均され
綺麗な面になる
「気をつけ」の号令は
僕らの角を奪い去ってしまう
没になった詩です。
なんか上手いこと表現できなかったので。
『日本の教育は「出る杭は打たれる」方針だッ!
それは良くない!!!!!!!!!!!!!!!!』
・・・という主張はもう言い古された事でしょうが
それをあえて詩にしようと思って書いていました。
ただ僕自身、その方針を否定する気持ちがあまり強くなく、
「従順で素直な人間が育つなら、別に良くね?」という思いが少なからずあるので、あまり上手くはいきませんでした。
そもそも、その教育方針(?)を善か悪の二元論で語ろうとするのが
自由な発想じゃないですよね。
僕はどっちサイドでもないです。
自分自身の誠実さ・実直さ・不器用さは間違いなくその産物ですし、
そうした自分が嫌いではないので。(別段好きでもないですが)
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