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【オトナになることのうた】山下達郎 その2●「アトムの子」「さよなら夏の日」で再び見せた少年性
地味な生活を送ってます。まあ基本的に、いつもそうですが。
地産のさつまいも(金時)や生ラーメン、パキチョコアイスを買ったり。卵焼きを作ったり、大根を煮て、おでんに入れたり。
子供の迎えに行ったり。メジャーリーグのポストシーズンや、日本のクライマックスシリーズをテレビ観戦したり。ドジャースではムーキー・ベッツ選手が好きですね(だからいつも大谷の打席と続けて見てます)。ベイスターズはすごかった……ありゃ今の阪神では勝てんわ。
ほかに、期日前投票に行ったりです。
最近はわりと在宅しているので、録画した番組も観てます。バラエティやワイドショーはそんなに好きじゃないです。ただ、好きなのもあって、そんな中でもテレ東はよく観ます。
NHKのドキュメンタリー番組も。ちょっと似た傾向の番組が多いと思うけど。
それからドラマの『探偵物語』とかね。今さら? いやいや、温故知新も大事です。
今クールのアニメは観てないな~。
自宅内では、今もまだ半袖、半ズボンで過ごしてます。
若い頃はこういう何てことのない日々が退屈だったものですが。家族を持って以降は、むしろそれこそが大事だと思います。
それだけに、前回で書いた、普通に、マジメに働いてる市井の人たちこそ素晴らしいとの達郎の思いも理解できるというもの。
しかし音楽には、日々の暮らしとは一線を画す世界やトリップ性の高い表現、そして非日常性という魅力もあるわけで。自分はそことの行ったり来たりの中で、生きていこうと思っています。
『鉄腕アトム』を読み返したことから生まれた「アトムの子」
前回、達郎が大人になることを唄っていたことに気付いたのは、北海道のフェス、ライジングサンで観たステージが大きかった旨を書いた。そこで聴いた中で自分にとって大きかったのは、「アトムの子」と「さよなら夏の日」。
この2曲とも、1991年のアルバム『アルチザン』に収録されている。
まずは「アトムの子」について。『アルチザン』の1曲目に置かれている、弾むビートもキャッチーなポップ・ナンバーだ(下記のリンクは、2009年の新リマスター版)。
この歌についての、達郎の弁を紹介したい。
最初は、ベスト盤『OPUS ALL TIME BEST 1975-2012』の解説より。
手塚治虫さんが亡くなった時に作った一曲だが、「追悼」ではなく「継承」がテーマとなっている。偉大な先輩たちが掲げてくれた指針を、我々はどう受け継いで行くのか。我々はどこへ向かうべきなのか。私ももうじき手塚さんの年齢に追い付いてしまう。
手塚治虫は1989年2月に亡くなっている
重要なのは、継承がテーマだと言い切っていること。先達のやったことを受け継ぎ、次の世代に残し、伝えること。そこでの「どこへ向かうべきなのか」という問いかけ。
この言葉には、達郎がバトンをどう受け取り、それを自分たちより下の世代へどう渡していくかを意識しているのが感じられる。
たしかにこれは、大人として、ひとつのあるべき姿だと思う。
続いて、今度は『アルチザン 30th Anniversary Edition』(2021年)の曲目解説より。
(前略)
私も幼少から手塚さんの漫画に親しんできた一人ですが、彼の死をきっかけに「鉄腕アトム」を読み直したところ、コマ割りや吹き出しといった細部までの記憶が自分の中に鮮明に残っていることに驚き、そこから「アトムの子」というテーマが浮かびました。それがアルバム締め切り10日前のことで、でもどうしてもこのアルバムに収めたくて、徹夜徹夜で間に合わせました。時は流れ、漫画の中で鉄腕アトムが誕生した年(2003年)を、今はもうはるかに越えてしまっていますが、手塚さんがアトムに託した夢や志は、時代を超えていつまでも生き続けることでしょう。
(後略)
最後の一文は、自分というよりも、手塚治虫が残したものが時代を超えていくという考えを示している。
ただ、それでもこの曲、「アトムの子」で、<心は 夢見る子供さ>と唄う達郎からは、彼自身の少年性と、その純粋性を強く感じる。それは「少年性は、今の自分の中にもしっかりと存在している」という宣言のように思える。
青春時代のとしまえん、「さよなら夏の日」
そしてもう1曲、「さよなら夏の日」。アルバム『アルチザン』では「アトムの子」に続く2曲目に収録されている。センチメンタルでメロウ&スムースな感触が最高の1曲である。これは2021年、30周年のタイミングで制作されたMVを。
次の解説は、やはりベストアルバム『OPUS ALL TIME BEST 1975-2012』のブックレットより。
40才をむかえる手前で、ある日ふっと湧いてきた。ジュブナイルの終わり、青春の終焉、子供から大人への変化というテーマは、私にとって大きな題材だった。大人になることへの悲しさ・切なさ・とまどいはあっても、あくまで受容的・肯定的な作品を書きたかった。詞・曲・編曲のバランスがよく取れていると思う。
それから『アルチザン 30th Anniversary Edition』より。
夏の終わりはしばしば、少年少女時代の終わりと重ね合わせて語られます。私のこの歌も、夏=青春が終わって、僕らは大人になっていくという、感傷的な中に未来への小さな希望を込めたものです。高校時代に、ガール・フレンドと今はなき豊島園の流れるプールに行った時、夕立に遭った記憶に多少の粉飾を加えて作りました。それにしても、10代の記憶はどうしていつまでも色褪せないのでしょう。この曲をレコーディングしていた当時、ハンド・ベルにとても興味があって、カウンター・メロディーに使用しています。
とくにこちらのほうは達郎らしく客観性を交えた書き方だが、しかしそのスキ間から感情のようなものがこぼれ落ちている感がある。ちょっと照れくささのようなものも見せながら書かれているように思えて、その繊細さ、感傷性が、愛おしくすら思える。
ともあれ「さよなら夏の日」は、高校の時のとしまえんでの思い出がベースになっているようだ。
達郎の生まれは豊島区の池袋で、としまえんは西武沿線に2020年まで存在した遊園地。それだけに、としまえんの思い出もいくつかあるのだろう。
ちょっと蛇足めくが、達郎が通った高校は進学校である文京区の竹早高校で、実はいま僕が住んでいるところとそこそこ近い場所にある。もっとも達郎は、当時盛んだった学生運動の空気もあり、学生生活からドロップアウトしてしまったそうなのだが。
それにしても、思うところが多い2曲である。
前回書いたように、達郎はこの『アルチザン』の前作に当たる『僕の中の少年』で、自らの少年性に別れを告げた。その時は、以後は大人になった自分として、そうした歌を唄い、そうした音を鳴らしていこうと決意していたのではないだろうか。
『僕の中の少年』は、子供だった自分自身に対するひと区切り。そのつもりだったのではと思うのだ。
しかしこうして当時の回想を振り返ると、達郎本人の内面は、決してそこまで行ききってはいなかった、ということではないかと感じる。
手塚治虫の死去があり、あらためて『鉄腕アトム』を読み返したことから「アトムの子」が生まれたこと。それと別に、青春時代のとしまえんの出来事を思い出し、その心象風景を「さよなら夏の日」に刻んだこと。
それぞれの時代は違うものの、どちらも若かりし頃の達郎自身の記憶に強烈に焼き付いているものである。それどころか、もしかしたら人格形成にまで影響を与えたほどの大きな思い出ではないかと思う。
訣別したはずの、自らの少年性。しかし30代後半の達郎にとってのそれは、そうやすやすと抜け切れるものではなかった。拭い去れるものではなかった。そんなふうに感じるのだ。
音楽について、その表現に関して、圧倒的なまでに完璧主義を貫き通すアーティスト……もとい、アルチザン(職人)、山下達郎。
そんな彼においても、長らくの間、内面に抱えてきた少年性は強くつきまとい続けた。『僕の中の少年』のあとにも、むしろ再度向き合うこととなった。
そんなふうに想像すると、達郎の人間くささが感じられて、それにまた関心を惹かれる。
そして違う見方をすれば、人間にとって幼い頃、若い頃の記憶や思い出、感覚や匂い、心象風景や原風景は、そう簡単に消し去れるものではないのではないか、ということだ。
これはおそらく、多くの人に言えることではないかと思う。
<山下達郎 その3 に続く>
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山梨にて、1620円だったかな?
まあ観光地価格。
と思ったら、通販もしてるんですね。
要所を押さえた出来ですな、というのが
バウム好きとしての感想
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