【年齢のうた】2024年夏までのまとめ その4●日本人にとっての年齢とは
9月は周りの人らに依頼されたり提案されたりして、「あーはい」と言ってたら、どんどんスケジュールが埋まってしまっていた。そんなわたくしです。まあ、それも人生。
そのひとつの業務案件の場所が、とある都内の音楽関係の事務所で……あそこはマネージメント? レーベルもあるのかな。インタビュー取材で行ったんです。
驚いたことにその会社が入ってるビルが、僕がずーっと昔の会社員時代に、1年ちょっとくらい毎日通ってたところなんですよ。それも音楽やマスコミの関係でなく、銀行系のシステム開発をしていた会社なんです(そう、僕は異業種から転職したのですよ)。
そのビル、小さくはないけど格別大きい物件でもなくて。都心のビルなんて無数にあるのに、そして僕自身、アルバイトを含めても、東京で日々通い続けた場所なんて10ヵ所もないのに。4年前にも一度そのビルに仕事で行ってるんですが、その時から、すごい偶然だなあ、不思議だなあと思っています。
ビルの外観はそうでもないけど、内装は当時からかなり変わってて。エントランス付近に設置されていた公衆電話を使って、僕はストーンズの東京ドーム公演の電話予約をしたものです。昼休みに。携帯電話がまだ普及してなかった時代ですね。
ただ、覚えてないことも多くて。残業の日にオムライスを食べに行った喫茶店の場所はおぼろげになっちゃってるし、それ以前に、毎日のお昼ご飯はどうしてたっけな?と。ビル内に食堂があったかな? そしてさっきのストーンズ公演のチケットは、結局は入手できたけど、あの時の電話がつながったかどうかは覚えてない。
……ストーンズ、また観たいな~(今度はそっちかよ)。
えっと、『ミュージック・マガジン』の最新10月号のブランキージェットシティ特集のアルバムレビューで2枚ほど執筆しています。
ぜひご覧くだされ。
ではでは。このまとめはとりあえず今回でおしまいです。
洋楽曲の邦題につけられた「●●才」
まとめのその2で書いたように、洋楽のポップスやロックで年齢を唄った歌は、とくに昔のものは、ほとんどが10代をモチーフにしていた。若い世代特有の恋心、ときめき、あるいは戸惑い、悩み。つまり青春時代の若者の内面をポップに唄ったものが大勢を占めていた。
歌謡曲の黎明期には、海外ポップスを日本語の歌詞に変えて唄われたカバー曲も多い。その際には、オリジナルのタイトルを翻訳するように邦題がつけられていた。そしてその中に年齢を唄い込んだヒットソングもあった。
たとえばキャシー・リンデンの「悲しき16才」。原題は“Heartaches at Sweet Sixteen”で、1959年のヒットソング。とても有名な曲だ。ハートエイクだけど、まあ、かなり直訳に近い邦題になっている。
翌1960年にザ・ピーナッツが日本語でカバー。
かなり後年になるが、山口百恵に代表されるアイドルたちも唄っている。
次は「夢見る16才」で、こちらの歌唱はジョニー・バーネット。“You’re Sixteen”だから、けっこうな意訳になる。1960年のヒット。
リンゴ・スターもカバーした。
ちなみにラッツ&スターにも同名曲があるが、別の曲である。
そしてこれもよく知られている曲、ニール・セダカの「すてきな16才」。1961年の曲で、“Happy Birthday Sweet Sixteen”……やはりニュアンスをだいぶ変えている。ハッピーバースデーが後回しになっているほど。
翌1962年に弘田三枝子がカバー。
こちらは伊東ゆかりによるもの。
岡田奈々も唄っている(最近のほうの岡田奈々ではない)。
そしてここからはちょっと興味深い傾向について触れたい。オリジナルのタイトルでは年齢を入れていないのに、邦題をつけるに当たって、あえて年齢を入れ込むケースがあったようだ。
これも有名な曲なのだが、ジャンニ・モランディという歌手の“Twist No.9”。別名で「サンライト・ツイスト」とも呼ばれる。1963年のイタリア映画に使われた楽曲だ。
これを1963年に木の実ナナがカバーしたバージョンは、邦題が「太陽の下の18才」と名付けられていた。
木の実ナナの楽曲リンクは見当たらないが、ムーンライダーズがカバーしたものはあった。
それから1964年のシルヴィ・ヴァルタン「おセンチな17才」。
オリジナルのタイトルは“Tous mes copains”で、「私の友達みんな」という意味になる。邦題に掲げられている17才など、原題には入っていない。
このへんは当時の音楽業界の潮流に、それまでの業界の潮流を参考にして、年齢をタイトルに入れたらキャッチーになりそうな感じがあったからではないかと思う。原題を訳すより、「●●な■才」みたいにすればヒットしそうな空気が。
ただ、これもその2で書いたのだが、日本におけるポップスやロックでは、20才を越えた年齢もかなり唄われている。
それは、年齢に対して過敏な風土があるからではないかと思う。
このように昭和中期の頃から、タイトルに年齢を掲げた日本のポップスは多かった。際立ったのは南沙織の「17才」や山口百恵の実年齢ソングだ。当時のCBS・ソニーの酒井プロデューサーが試みた手法である。
外国の人たちとの接触で知ったこと
さて、日本のポピュラー音楽は、それ以前の土着的な音楽からの影響もかなりある。民謡や浪曲、長唄などがそれに当たるが、この一方では言うまでもなく、海外のポップスやロックを中心としたカルチャー全般からの波を受けながら発展してきた側面は相当に大きい。
そして先ほどの原題と邦題の違いのように、日本国内での伝わり方、伝播の仕方まで見ると、この日本の風土では海外のものがどのように翻訳され、発展したのかまでがわかるところもある。
日本の常識を知るためには、時に、外の国の文化に触れることに意味があると思う。
そう感じるのも僕が、日本人は年齢への意識が強いと感じるようになったきっかけのひとつに、海外のカルチャーに触れたり、外国の人と接したり、時には共に仕事をしたりしたことが大きかったからだ。
僕は30年ほど今の仕事をしていて、その間に外国のミュージシャンへのインタビューだけでもかなりの数をこなしている(日本のミュージシャンはもっと多い)。海外と言っても向こうの国は主にアメリカ、イギリスで、あとはフランス、スウェーデン、ポルトガルぐらいなのだが(長い間やってるとそのくらいにはなる、ということ)。
その際に彼、彼女たちと雑談したり、また、外国のスタッフと話すこともあった。それにあまり多くはないが、プライベートで外国の人と会話をした経験もそこそこある。
そして思い返せば、その際に年齢を気にされたことなどなかった。自分が何歳なのかを尋ねられた記憶がないのだ。
僕の場合、つねに自己紹介は「マイ・ネーム・イズ・ユー・アオキ」であり、そこで年齢について訊かれたこと、話したことは、ほぼない。あいさつをしたあとは、向こうは「ユー、さっきの話だけどさ」みたいに、フランクに返してくれる。
「この仕事を■年ほどしています」くらいは話したことがあったかもしれない。まだ駆け出しだとか、そろそろ10年になるとか。もちろんジャーナリストが相手だけに、警戒されたり面倒くさがられることも多少あったが、それでもだいたいは対等に話せて、おおむねフレンドリーである。もちろんそれはビジネスだからというのが前提ではある。
それでも、プライベートで話す相手も含めて、「ユーは何歳なの? ふーん、そうか」みたいに、年齢の話をされた記憶はない。
大きかったのは、外国人の場合は、つねに下の名前を呼び捨てにされることだ。そしてそれがお互いにとって対等な関係であることにつながっていると思う。
逆に言えば、この日本では仕事の相手でもプライベートで知り合った人でも、こちらの年齢を聞かれることは普通にある気がする。かく言う僕のほうだって、相手に何歳かを訊いたことはあったかもしれない。それが普通の、当たり前のことだったりもする。まあ、そこまでではなくとも、お互いが歳上か年下かをどことなく確認している感じはある。
こんなふうに自分にとって、洋楽を聴くこと、海外のカルチャーに触れることは、日本という国の文化やあり方を違う角度から捉えるきっかけのひとつになってきた。
まあ、そこまで考えれば、サラーム海上さんみたいに世界各国の音楽を聴くに加えて、それぞれの国の風俗やカルチャー、食生活に触れる生き方もあるだろうとは思う。
それはそうと、この年齢というやつは、いったい何なんだろう。
ただ生きてきた時間の長さだけの話ではないのか。それだから、何歳だから何だというのか。
この考えは自分の中に、それとなく、ずっとある。
僕は社会学や歴史学を専門に学んだわけでもない。ただ、ちょっと考えていることはある。
昭和の時代を記憶とともに思い返すと、その頃は(いちおうは)全国民が平等であるべきとされていた。しかし人というやつは、そうして平等という名目があっても、序列のために立場の上下を作って、その上に向かってならうように、従わせるために、ひとつのものさしが必要だったのではないかと思う。
そのひとつが、年齢が上の者に従うこと。あるいは、その土地に前からいる者に従うこと。前からその組織にいる者に従うこと。こんなふうな暗黙のルールができていったような気がする。これは僕の想像だが。
その中で年齢という基準は、とても重宝する基準だったのではないだろうか。
さて、このまとめは、とりあえずここまでで終わりである。
何もまとまってないかもしれない。何の結論も出ていないとも思う。ただ、自分ではこれでいいと思っている。
というのは、次回から書くことこそが、僕が本当にテーマにしたかったこと、本当に書きたかったことだからである。
そんなわけで、次からは装いを新たにしていこうと思っている。
引き続き、よろしくお願いいたします。
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