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【読書感想文】『生殖記』朝井リョウ

語り手のこと以外はネタバレになると思うので、これから読みたい方は注意してください。


まず、語り手の意外性と語り口の軽妙さがエンタメとして際立ってました。この語り手だから、あの口調が許されるというか、まさに「しっくり」くる感じ。さすがだなと思いました。

おかげで、するする読めるんですが、これ読者が問われてるなって読んでてすごく感じました。リトマス試験紙的な。どの感想言ってもバッサリ切られそうな鋭さを感じたんですが、私だけかな。

ざっくり言うとマイノリティのお話だと思うんですが、対岸の火事だと思って読んでると火傷するみたいな。この本を読んで当事者意識を感じない人は、マジョリティとして愚鈍な生き方をしているんですよといっている気がしました。
それはたぶん私がマイノリティ側だから、そう思うだけなのかもしれませんが。

このお話のすごいところは、マジョリティの権化的に描かれていた人物が、実は主人公(語り手とは別)と同じ性的マイノリティだったってところだと私は思っていて。
あれだけ、客観的に主人公とヒトを見ていた語り手さえもミスリードされている。それはなぜか。マイノリティ=不幸というスティグマを主人公自身が持っていたからなのではないかと私は思いました。
マイノリティとして生まれることは、特性の一つであって、それ自体が不幸の原因になるわけではないと作者は語っているわけで。それは主人公の人生の根幹を揺るがす事実であって、すごく辛辣で容赦がないなと感じました。

語り手は主人公がこういう生き方をせざるを得なかったのは、マイノリティの特性のせいではなく、環境(家庭と学校)の影響が大きかったのだろうと考えます。
でも、だから社会が悪いとかそんな単純な話ではなくて。環境さえ違えばこうあれたかもしれない対象を出すことで、今までの生き方がある意味否定され、もしかしたら、この社会で自分もまっとうに幸せになれるのではないかという希望を提示する。それがどれだけ危うい選択だとしても、もし手が差し伸べられたらきっと縋ってしまう。甘美で残酷な希望。

結局、多様性という名の無関心によって、その手は差し伸べられることはなかったのですが。私は個人的にそれで良かったなと思いました。主人公の見出した生き方が幸福が、生きづらさを抱えたマイノリティの救いになると思うから。

トルストイはかつて「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」と「アンナ・カレーニナ」で語っていました。不幸な家庭は本当にそうなんですが、今は幸福な家庭もきっとそれぞれで、それこそ幸福は家庭に縛られなくてもいいのではないかと。幸福の多様性こそが作者の提示したかったことなのではないのだろうかと私は思いました。

エンタメ的なフィクションは安易なハッピーエンドで終わることが多くて、それはそれでエンタメとしてありだと思うのですが、置いてけぼり感を感じることがあります。やっぱり所詮フィクションだなと。
なので、エンタメとして読める作品でこのハッピーエンドを書いてくれて、とても嬉しかったし、「しっくり」きました。

マイノリティが社会的に幸福になる権利はもちろんあると思うし、誰もが取りこぼされず幸せに生きれる社会になるべきだとも思います。
ただ、その過渡期に生きるマイノリティにとって、主人公の選んだ選択はある意味希望であり、そういう幸福があるということが真の意味での多様性なのではないかと思いました。

「生殖記」はリトマス試験紙で、安易な感想は自分の無知と傲慢さをひけらかすことになる作品ですね。おそらく、私の感想もバッサリ切られるんだと思いますが。

語り手からしたら、ヒトの生き方は滑稽なのかもしれませんが、私もマイノリティとして、ヒトとして、サバイブの先の「しっくり」くる生き方をこれから模索していこうと思いました。

朝井リョウさん、すごいですね。
「正欲」も自分の価値観を切り刻まれそうですが、ぜひ読んでみたいです。
本が読めるようになって良かった。

いろいろ書きましたが、普通にサクサク読める面白い作品なので、未読の方はぜひ読んでみてください。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

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