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なぜnoteに言葉を綴るのか

noteを初めて、10日目です。

こちらの記事を良く読んでいただいてるみたいで、noteさんから褒めていただきました。

たぶん、note初心者のモチベーションを高めるためのアルゴリズムの一環だと思うのですが、やはり褒められるととても嬉しいです。

みなさまからもたくさんのスキをいただき、大変ありがたいなと思っております。
今までSNSを利用したことがほとんどない身としては、これが承認欲求を満たすということなんだなと実感しています。

そして、その承認欲求を満たすべく、ここ数日迷走していたのですが、そのまま迷子になってしまいました。
ですので、改めてなぜnoteを始めたのか原点に戻り、これからどうしていくのか考えをまとめてみました。


noteを始めたきっかけ

noteを始めたきっかけはズバリ主治医のアドバイスでした。

私は双極症(かつての躁鬱病)で通院中なのですが、投薬である程度はコントロールできるものの時々軽躁状態になってしまいます。

軽躁状態はいわゆるハイになってる状態で、とにかくめちゃくちゃハッピーで楽しくて無敵な感じになります。
覚醒剤を使ったことはもちろんないのですが、もし使用したらおそらくこういう高揚した状態になるのではなかろうかと思っております。

躁鬱病に関しては、また別の記事で書こうと思うので端折りますが、躁状態の時は頭の中にとめどなく考えが浮かんできます。
そして、それをアウトプットせざるを得ず、おのずと多弁になります。
相手がいれば、朝から晩までしゃべり続ける感じです。

まあ、そんなことをしたら迷惑極まりないので、なるべく自重するのですが、頭の中がうるさくて、ついついしゃべりまくってしまうんです。
とりあえず、夫に向かって話すのですが、やはりウザそうにされるので、常々良くないなとは思っていて。

それを先生に相談したら、「ブログとかに書いてみたらどうですか?」と言われ、noteに辿り着きました。

noteに言葉を綴る意味

なので、私にとってnoteは治療の一環であり、セルフセラピーなんだなと改めて気づきました。
実際、noteにアウトプットすると頭の中が少しスッキリします。
ただ、次から次に考えが巡るのでキリがないのですが。

ハイな状態も相まって、いろいろな記事をあげましたが、どの記事も読んでくださる方が何人かいてとても励みになりました。
スキをもらえるととても嬉しいですし。

そして、もっとたくさんの方に読んでもらいたい!と欲をだしてしまい、方向性がよくわからなくなって迷子になってしまいました。

noteはたぶん躁鬱病と相性がいいと個人的に思っています。
躁状態でわーっと書いても、投稿する際にもう一度見返したり、簡単な推敲ができるので、少し冷静になれるんですよね。

これがXだと思いついたまま投稿して、取り返しのつかない事態になったりするのではと思っています。
Xはいろんな意味で怖くて見る専門なんですが。

私にはnoteに言葉を綴ること自体がとても意味のあることであり、誰かに届けることが第一の目的ではないことに気づきました。

もちろん、私の拙い文を読んでくださる方がいれば、それはとてもありがたいことですし、誰にも見せない日記ではやはりカタルシスを得られないので、対面に誰かがいるだろうということはとても大事なんだと思っています。



まとめ

noteにはいろんな目的の方がいらっしゃって、おそらく正解はないと思うので、私はセルフセラピー目的でマイペースに楽しんでいこうと思いました。

躁状態の後には、哀しいかな必ず鬱状態が来るんです。
でも、コントロールできないなりになるべくハイになりすぎず、程よい距離感でnoteとも付き合っていけるといいなと思っております。

ちなみに今は軽躁状態なので、とりあえずアウトプットすべく、思いつくままnoteにタイトルを書きまくったら30個くらいになりました。
やっぱり、病気なんだなと思います。

でも、そのおかげで、今回は夫と子どもとママ友にあまり迷惑をかけてないのでは?と思っているのですが、客観的にはどうなんだろう。

おそらく30タイトル全部記事にはできないですが、何個かはちゃんと書いて投稿できればと思います。

この病気と付き合っていくうえで、noteが大事な居場所となることを願って。


読んでくださり、ありがとうございました!

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