見出し画像

無難に生きるな

新年早々、滅多に買わないジャンルの本を買った。

【20代を無難に生きるな】

基本、漫画や小説しか読まない私が初めて買ったジャンルの本だ。

今年こそは何かを成し遂げたい。
そんな安直なことを思い、何となく買ってみた。

ネタバレになってしまうので詳しくは記さないが、
読んだ感想を言うならば、
昨年までの私は、

20代を無難に生きすぎていた

ということだ。

無難という言葉にすると何やらかっこよくきこえてしまう。

自分なりに言い換えるならば、
今までの私は、

20代を怠けて生きていた

ということだ。

今まで、
失敗を恐れ、
挑戦から逃げてきたのだ。

たしかに挑戦というものは
簡単なものではない。

ただ、失敗を恐れ、
何もしないのであれば、
怠けているのと同じだ。

本を見ていてそう思った。


本の終盤にさしかかるページにこんなことが書いてあった。

「20代のうちに一度は知覧に行け」


知覧
・・・鹿児島県南九州市の中央部にある地域


知覧といえば、鹿児島のお茶の名産地だな。
そう思いながら、読み進めていくと、
私が思う何倍もの心を動かす内容だった。

知覧という地は、昭和20年頃、太平洋戦争末期に
色々な地から集まった特攻隊員が、
飛び立った土地。
現在は、その土地に特攻平和会館が建っている。


何故、そんな場所を勧めるのか。

これが正直な気持ちだった。
正直、暗い気持ちになってしまわないか。
そんな事も考えた。

だが、今年の私は最強だ。

すぐに知覧へと足を運んだ。


特攻平和会館に着くと
思った以上に人がちらほらといた。

鹿児島ではこの場所は観光地として
よく足を運ばれているらしい。

大人500円のチケットを買い、
少し緊張しながら入館した。
 

入って直ぐの場所には、
若き特攻隊員が
家族や大切な人に向けた手紙が並べてあった。

その手紙を一つ一つ丁寧に読み進めた。

気づいた頃には、頬から涙がつたっていた。

手紙を書いていた特攻隊員は、
ほとんど私と歳の変わらない人達だった。

大切な家族に向ける最後の手紙が
こんなにも胸を痛めるものなのか。

その手紙には、
20代を生きたかった人達の
数秒さえも惜しまない
飛び立つまでの
生きる思いが込められていた。

飛び立つ前日のものもあれば、
飛行機に乗り込む瞬間に書かれたものもあった。

特攻隊員達の家族や大切な人達は、
この手紙が届いた時
どんな気持ちだっただろうか。

私は、手紙を一つ一つ丁寧に見ながら、
胸が張り裂けそうになる気持ちを
しっかり受け止めていった。  

全ての展示を見た後、
特攻平和会館を出た。

そして、
肺にいつもより沢山の
空気を吸い込んだ。


「行ってよかった。」


素直にそう思った。
それと同時に


20代を無難に生きてはいけない。
20代だけではなく、人生を無難に生きてはいけない。


そうも思えた。


20代を全力で生きられる時代に
生まれてきた私は、
このままのうのうと生きていていいのか。

いいわけがないだろう。

今年は、昨年出来なかった分の挑戦も
新しく見つけ出す挑戦も
全て喰らいつくして、吸収していく年にしていこう。

そしたら、この先、楽しいこともあれば、
その倍以上のきついこともきっとあるだろう。

きついことがあった時、
落胆し、
何事も手がつかなくなることもあるだろう。



そんな時に思い出す言葉があるとするならば


人生を無難に生きるな。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集