㋐からはじまり㋜でおわる 川崎一水
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第一章 古事記の中のアマテラスとスサノヲ
㈥ アマテラスはどこに行ったのか
つづき
もっとも古いスサノヲは島根の御崎山に葬られる。日御崎神社があるところである。それは松江にある日御崎神社であるが、出雲にある日御崎神社はとても面白い。同じ境内にスサノヲとアマテラスが同居しているのである。スサノヲを祀る神社で最も古いといわれる須佐神社でもアマテラスは境内の外に天照社として別にいる。ところが日御崎神社では境内の中に全く対等にアマテラスとスサノヲをそれぞれ祀る二つの社殿が存在する。
そして最も面白いことに、スサノヲを祀る造りの社殿はアマテラスを祀り、アマテラスを祀る造りの社殿にはスサノヲが祀られる。神社の由緒には元は別の場所にあった社殿を一緒にしたとあり、海側の社殿がアマテラスを祀り、山側にある社殿がスサノヲを祀る神社である。ところがなぜか社殿の造りは逆になっているのである。これは同じ境内に移したときに間違えたとかの話ではないはず。
そこに謎がある。
もっとも古いアマテラスは熊本のチブサン古墳に葬られている。ここにいるアマテラスはB.C.197年に薨ったとされる。一方、島根の御崎山にいる最も古いスサノヲは.C.217年に薨ったとされる。そして本来、熊本にいて日御崎神社にはいないはずのアマテラスが一緒に祀られており、さらに社殿の造りが逆であるということはどういうことか。
イザナギイザナミの指示を受けたアマテラスとツクヨミとスサノヲが「葦原の中つ国」の中の「神々の坐す高天原」と「夜の食国」と「海原」とを治めることとなり、その後の話はご存じのとおりである。
そこに謎がある。
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