【楽曲紹介】優しい闇のリアリズムがあったからこそ、おれは正気を保って生きてこれた【佐野元春】
20~23歳にかけてのおれは、ほとんど“無敵の人”一歩前だった。
大学受験から逃げ、新卒での就職に失敗し、親には適当な言い訳をして夜勤の施設警備員のアルバイトに明け暮れていた。何をして、どこに向かえばよいのかわからない日々だった。
すべて自分が悪い。システムに適応しきれず、かといって逃げも闘いもできず、目の前の壁を打破するための努力を何一つしてこなかったのだから。でも、社会の何もかもが虚飾と欺瞞に見える感受性だけは自分でもどうにもならず、そこに順応しているつまらない大人たちにいつも胸の中から呪詛を発していた。
馬鹿どもが。くだらねえ連中が。
行き場のないフラストレーションが瘴気のように漏れ出る。
非大卒、非正規雇用、資格ナシ、彼女ナシ。電車通勤の乗り換えのために秋葉原の雑踏に揉まれるたび、おれの頭に加藤智大がよぎった。
あと二つか三つ悪い条件が重なっていれば、具体的かつ実際的な形で誰かを傷つけていた。たぶん。
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施設警備員の仕事は退屈だった。でも、さほど苦痛ではなかった。
都心にある高級マンションで巡回と座哨と立哨をローテーション的に行う業務だったが、巡回はほとんど散歩だし、座哨では、書類を記入するフリして自前のノートにひたすら独り言を書き連ねていた。
一人体制の勤務だったのでそれなりの緊張感はあったものの、一部の住人に侮辱されたり火災報知器の誤報に煩わされたりする以外は、おおむね気楽な仕事だったと思う。しかし、非正規雇用の警備員に、あまり明るい未来は待っていない。
休憩時間は、誰の目にも触れず管理室で過ごせた。過ごし方はさまざまだったが、なかでも音楽をよく聴いていた。
とくに気に入っていたのは、佐野元春のアルバム『BLOOD MOON』だ。今回はそこに収録された『優しい闇』を取り上げる。
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「野蛮な闇」と対比されるのが、なぜ光ではなく「優しい闇」だったのだろう。当時のおれはそう考えていた。
でも、今なら少しはわかる気がする。
光を以て闇を制するという発想は、どこか“臭いものに蓋をする”感がある。どれだけ一面を煌々と照らしたところで、光がある限り闇は無くならない。むしろ見えなくなったぶん、闇の存在そのものを忘れてしまいそうで厄介だ。
闇を忘れると、自分自身が闇に囚われたとき、その正体を掴めず神経症的な拒絶反応にのたうち回るようなことになるかもしれない。ここでおれが言う“闇”は観念的でわかりにくいので、何かのメタファーとして捉えてもいい。“死への情念”とか“絶望”とか(これらも観念的だけど)。
つまり、“闇”や“闇として語られるもの”から決して目を逸らしてはいけない。そしてフェアかつクリアに眼差しを向ける必要がある。そうすれば、闇にも善きものと悪しきものがあることを知れる。「野蛮な闇」を押し戻し、「優しい闇」と抱き合うことができる。
おれは、そんなふうにある種のメメント・モリとしてこの詞(詩)を感じ取れる。
そして、そのような闇において、儚いけれど確かなものがあることが示唆される。
「何もかも変わってしまった」世界の中で「この心 何をしても/君を想っていた」と。
「帰り道」はない。「約束の未来」もない。当時は自分だけがそんな状況に置かれているような心境だったが、実際のところ誰だって同じである。ただ、それを知らない「傲慢」な者、それを語らない「残酷」な者があまりにも多いだけで。
佐野元春はとてつもないリアリストだ。しかし、そのリアリズムは冷笑的な現状追認主義を語るのではなく、目の前の現実における欺瞞と真実を公平に見分け、おれたちに“ほんとうに大切なもの”を探すためのヒントを与える。
だから、佐野元春の言葉は、切れ味が鋭くとも温もりに満ちているのである。
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当時のおれと現在のおれは、正直なところ大して変わっていない。
大人嫌いの大人。大衆嫌いの大衆。マジョリティ嫌いのマジョリティ。自己矛盾を抱えた、何者かになりたいその他大勢。社会的ステータスも相変わらず底辺だ。
でもおれは、あの数年間に佐野元春から「優しい闇」を示されたことで、「野蛮な闇」に完全に取り込まれず、今までかろうじて正気を保って生きてこれたような気がする。それは、これからもきっと同じだろう。
勇気を持って闇を抱きしめ、その中で両目を開いてこそ見えてくる希望もある。
だから、“ほんとうに大切なもの”を手にするために、まだ諦めてはいけない。
問い続けることを。探し続けることを。
【ここでも佐野元春の話をしています】
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