WEEKLYOCHIAI斎藤幸平×落合陽一「脱炭素の未来」サマリと感想
サマリ
人新世の「資本論」の斎藤 幸平氏と落合氏のディスカッションが先日行われた(ちなみにお二人は夢の87年世代と同い年(グローバルだとメッシw)ということにビビる)
ざっくりとした話のまとめは上記のような感じだったかと思う。
ちなみにゲイツ氏の以下の本はまだ1/4程度しか読めてないがおそらくはジオエンジニアリング的論調だと思う(ちがってたらすまん!)
もう少し斎藤氏の論点を追記すると以下。(人新世の「資本論」についてはまたどこかで取り上げたい)
『行き過ぎた消費社会の是正』や『再分配機能強化による格差是正』が必要
・税制だけでは不十分でラディカルな打ち手が必要ってくらいには資本主義が限界にきている
・持続可能性と平等性がリンクしていることが大事
・新しい価値観をセットで作る必要がある、これまでの生活そのものが問題だったという視点
・格差をなくしていくことが民主主義危機の問題とか持続可能性の問題を解決するために避けて通れない重要な一歩になっている
そのための「脱成長コミュニズム」「コモン」「税制・貨幣論」といった話。
個人的感想
斎藤氏の考えには全面賛成なのだが、それらを両軸で叶えつつ環境問題を間に合わせられるイメージがまだ持てない(時間が10-30年しかないので)
一旦はプラネタリーバウンダリー最優先しつつ、まずは貧困がないけど格差が残っている社会になるというのが現実解なのだろうか?(落合氏はこっち寄りっぽい)
とはいえ我々年代(自分も含めてみた!w)から下を中心に、並行して脱成長コミュニズム的な草の根の取り組みは進んでいくだろう(というか10年ぐらい前からその傾向は日本でも徐々に見られつつあると思う)
上記は環境云々があったからというよりは、単純にファクトフルネスにおけるLv.4である成熟社会において「お金」以外の価値尺度を求める人が現れ始めたというごくごく自然な流れからである。(ほぼベーシックインカム状態なので)
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初期は地方創生的な経済的側面から始まって、環境云々とかが絡み始めたのはグレタ氏が台頭し始めた5年前ぐらいからな肌感がある。
例えば西粟倉村などが著名だろう。(訪れたことはないが実は嫁氏の実家の隣町だ。)
ちなみにベーシックインカム後の「経済的成長という一つの価値尺度を追う必要がなくなった」世の中では自由の刑に処せられる的また別の課題が発生するのだが。(例えば以下Podcastでも語られている。かく言う自分自身も悩める民の一人である。)
結論
てなわけで環境問題については資本主義的メカニズムを活かしたジオエンジニアリングに片棒を担いでもらいつつ、一方では格差問題もセットでアプローチするような脱成長コミュニズム的取り組みを新たな価値尺度を求められる現代における個人のパーパスの一つに据えてしまえばよいのではないか?(飼いならしを許容してしまうだけな恐れも大いにあるが)
前者と後者が必ずしも別人格ってわけでもないだろうから割合の違いはあれど両軸ぐるぐる回っていくのが良さげな気がする。
この辺り山口周さん本もヒントになりそうなので近々読みたいと思う
以上。