noteって続けても意味ないんじゃないかと思う瞬間が誰しも訪れる、そこを乗り越えた人だけが100記事に辿り着けるのかもしれない
今日の記事でnote102記事目になりました。
100記事というそれなりの記録を達成したのだけど、ここまで続けることは誰にでもできるけど、実際にやれる人は少ないのだろうと思う。
noteを続けられない理由の一つに
こんな記事を書いていても意味ないんじゃないか問題
があるのではないかと思うのです。
noteを書き出してすぐの頃って、当然ビューやスキは少ない。
それは自分でも分かっているし、最初はなにかしら書くこと決めていたりもするので、最初は書くモチベーションが高いです。
少ないながらも読んでくださる方はいるし、小さな反応でも嬉しいものです。
1つのスキだけでも書くモチベーションにはなるんですよね。
で、最初の1ヶ月くらいは、順調にフォロワーさんも増えていくし、ビューもスキも増えていく。
ところが
どこかの時点で頭打ちする時期がやってくる。
最初は、書くネタがあって、しっかりとした記事をかいているのだけど
だんだんと書くことに悩むようになり、ひとまず書いてはみるんだけど、自分でもクオリティが下がっていることを認識していて、それを裏付けるようにビュー数やスキの数も増えなくなる。
こんな記事を書いていても意味があるのか?
誰にも求められていない記事を書いているのではないだろうかと疑問を持つようになり、書くことがつらくなってくるのです。
ここがnoteが続けられなくなるポイントなのだろうと思います。
僕もね、ほんとたいしたことを書いていないので
こんな日記みたいな記事を書いていて意味あるのかなという思いは今もあります。
だけど
それでもとにかく書く
反応があろうがなかろうが、フォロワーさんが増えようが増えまいが、とにかく書いてみる。
その苦しみの先に100記事達成というご褒美がやってくるのです。
100記事書けば、最低でもnoteからは「おめでとう」とお祝いをしてくれます。
そうなるとね、また最初のころに味わったモチベーションが復活するんですよね。
しょーもない記事でもとにかく投稿していると
どんな文章でも世に出せる図太さみたいなものはついていきます。
こんな記事を書いていて意味があるのか?
と思うような記事でも
自身のハードルを下げてくれる記事にはなるのです。
そうやってね、とにかく書くことから逃げずに書き続けることで、何かしら誰かの琴線に触れるような記事も生み出せるのかもしれない。
だけどそれは書き続けたからこそ、辿り着ける記事なのでしょう。
だから、今、こんな記事を書いていて意味があるの?
これを読んでいるあなたも、そんな悩みを抱えているかもしれない。
でも大丈夫、どんな記事でも書く意味はある。
それは100記事までの小さな一歩になるし、その積み重ねが次の200記事、300記事、1000記事と繋がっていくのでしょう。
1000なんて書いていたら、どこかでホームランの記事も書けちゃうのかもしれない。
だけどホームランの記事を書けるのは、三振を積み重ねてきたからこそなのでしょう。
だから、とにかく書いてみましょう。
どんなことでも書くことには意味がある。
僕はそう思います。