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「殺す親 殺させられる親 重い障害のある人の親の立場で考える尊厳死・意思決定・地域移行」を読んで

375ページある本で、でも、世界の、生命に対するショッキングな潮流が系統立てて書いてあり、私たちのあり方にもそれらは重い問いを投げかけるもので、ほとんどひと息に読んでしまった。その間、なんども怒りと絶望にめげそうになった。書いてあることを読むだけでそうなるのだから、当事者のひとびとの苦しみは想像にあまりある。

著者の娘さんは脳性まひを患っている。
著者は娘さんが生まれた31歳当時、大学で専任講師をしていたが、娘さんが2歳の時に離職せざるを得なくなった。
日本では障害のある人のお世話は母親が担うものという暗黙の圧力がある。
そして、夫婦でお世話をし続ける生活が限界にいたり、夫婦は娘さんを療育園という施設に入れる決断をする。


津久井やまゆり園で、心身障害者の無差別殺人が起こったあと、その問題を議論する場にて、ある障害当事者による、
「実名を出すと自分が施設に放り込んだことがバレるから言わないだけだ」
という発言に接し、著者は凍りついてしまう。

重い障害のある子供を施設に入れることは、そんなに後ろめたいことなのだろうか。
そんなことはないだろう。

経済のグローバル化、必要以上の効率主義、こうした時代背景から私たちは無縁ではいられないし、その時代のよくない面の「しわよせ」を被るのは、困難さをかかえる人たちだ。

日本という土地の特殊性、進んだ国の進んだ事例、そのギャップにため息をつきつつ、ではどうすればよいのかということを考え続けるしかない。

「施設」を廃し、「地域」にゆだねて、その先はどうなるのか。
結局また家族が密室の中でお世話をし、その家族、家族というのは親だが、かれらも年老いていく。

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