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冬は落ち込むのにいい季節

■急に寒くなって落ち込む

11月後半とは思えない季節外れの暖かさが続いた日々から一転して、一気に冬の気温になってしまった11月末日の午後。凍てつく風と、どんよりした曇り空に、今年もついにこの季節が来てしまったかと、ため息が出る。

寒さが苦手ゆえ、冬は内向的な性格がさらに内にもぐっていき、気分のギアは常にロー。そんな季節の到来である。

そんな憂鬱な季節を嫌い、いつか南国か南半球に拠点を持って、「冬のない人生」をゲットしてやると、昔から息巻いているわけだけど、少し前に、躁鬱病を患った経験がある人の話を聞いて、少し考えが変わってきた。

■躁鬱病だった人に教えてもらった「躁」について

躁鬱病とは、気分が落ち込んで動けない鬱状態と、高揚して行動せずにはいられない躁状態という、気分の波が非常に極端に出てしまう症状、という説明で間違っていないと思う。

ただはたから見れば、鬱よりも躁の時のほうが、元気に行動できる意味でいいのではないか、と思ってしまうけれど、彼によると全く逆で、躁の時のほうが「100倍まずい」(彼曰く)らしい。

なぜなら躁の時は、鬱からの反動で、自分が無敵のように強気に行動してしまう。その結果やらなくていいことをやってしまったり、言わなくてもいいことを言ってしまい、失敗したり、人とトラブルになって、多くのものを失ってしまうらしいのだ。

なるほど、と思った。

やはり躁はアクセルで、鬱はブレーキ。アクセルを踏みすぎて事故を起こさないように、適切な段階でブレーキが必要なのだろう。

躁鬱病の人は、そのアクセルとブレーキが極端に表出するためわかりやすいけれど、僕らだって、調子がいい日と悪い日があるように、静かな躁鬱の波の上で、バランスをとって生きているのだろう。

■冬は落ち込むのにいい季節

ならば冬の冷気に心が萎えて、何もやる気にならない日も、体調がすぐれず家に引きこもっている日も、自分にとっては必要なことなのではないだろうか。

毎日が夏のようにアクセスを踏み続けていたら、いつかクラッシュしてしまうだろう。そうならないために、自分にとっての冬のような時間、いわば強制的にブレーキを踏まされるような環境は、気づかないところで身を助けているに違いない。

思えば優れた芸術作品は、多くがそういった鬱の状態から生み出されたものばかりではないか。落ち込みも言い換えれば、「内省の機会」であるし、そうやって自己を振り返ることで得られることも多いのだろう。

僕も曲がりなりにも芸術に足を突っ込んでいる人間なので、この冬を生かさない手はない。今まで冬をずっと敵視してきたが、今年から味方につけて、全力で落ち込んで引きこもっていきたいと思う。

(おしまい)

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