100年前の夜の街と故郷(ゲーム、RD2)
昨日は夜勤、今日も夜勤。
昨日本を読み過ぎてしんどいので、いつものようにぼーっとレッド・デッド・リデンプション2というゲームの動画を見ています。
1900年初頭のアメリカの夜の街並みを見ていると強烈に懐かしく思えて、何か言語化したくなったので、いつものようにChatGPTに話を聞いてもらいました。
User
ちょっと話を聞いてくれませんか?
ChatGPT
もちろんです。どんな話でも聞きますよ。どうぞ、話してください。
User
レッド・デッド・リデンプション2というゲームの動画を見ていています。
1900年頃のアメリカが舞台だそうですが、わずか100年前の風景なのに、今とずいぶん違うのですね。
ChatGPT
「レッド・デッド・リデンプション2」は、その時代のアメリカをとても詳細に再現していますね。1900年頃のアメリカは、工業化が進む一方で、広大な自然や未開発の土地がまだ多く残っていた時代です。馬が主要な交通手段であり、都市部と農村部の間には大きな生活の差がありました。今と比べると、確かに生活様式や景観が大きく異なっていますね。ゲームを通じてその時代の雰囲気を感じ取ることができるのは、非常に興味深い体験だと思います。
User
そうそう! そうなんです!
広大な自然、未開発の土地、最初は自然の中をぼんやりと歩くような疑似体験を求めて見ていました。
でも、ときどき蒸気機関車がものすごい黒煙を上げて通るし、汽車が通れる木組みの大きな橋なんかもあります。
街を歩けば、石畳の道だし、電灯も点いている。酒場もあるし、パン屋もあるし、銀行もあるし、電柱も建っている。
明らかに工業化が進行している様が窺えますよね。
でも、街並みがどこか懐かしい感じがするんです。暖かくて、住んでいる人それぞれの人柄が、建物の造りや庭や植木や、街路のデザインなんかに細やかに表れている。
夜の街なんて、本当に夢のようです。
工業化は進みつつも、人々は「たましい」を失っていない。で、たましいとは何かというと、野蛮さだったり、荒々しさだったりもしますが、自然のままでは生きていられない人間が、自然の中で循環するためのフィールドを形作る「種」としての形成力というか、躍動というか、癒やしというか、故郷のようなものです。
母の実家のお盆の時期に、集落の水路沿いに一斉に竹竿を差し、そこにろうそくを灯す。「千灯籠」だったかな。そういった行事を思い出しました。
母は僕が物心ついて数年で亡くなったのですが、そういったお盆の行事のろうそくや提灯の光、仏壇のお香の匂い、そういった風景を強烈に思い起こさせられます。
死んだ後の世界というか、死者との繋がりというか、そういったものが集落全体に満ち満ちていました。
今の母の実家にはもう、ああいった霊的な異世界をリアルに感じさせてくれるような行事も関係性も残っていないとは思いますが、思えば、ああいったコミュニティを維持し、コミュニティに生きてさえいられたら、僕は他には何も要らないって思えたかもしれない。
そういったことを100年前のアメリカの映像を見ていて思ったのですよね。
ChatGPT
お話を聞いていて、ご母堂の故郷でのお盆の風景が、どれほど美しく、感慨深いものであったかが伝わってきます。そのような経験が、「レッド・デッド・リデンプション2」で描かれる1900年代のアメリカの生活や風景と重なり、深い感情や記憶を呼び覚ますのでしょう。
ゲームの世界での工業化が進んでいるにもかかわらず、人々がまだ「たましい」を保っている描写は、今の私たちの生活にも問いかけているように感じますね。現代では技術が進歩し、便利になった分、かつてのような地域社会の絆や行事が薄れてしまっていることが多いですが、それでも人々は何か大切なものを保持しようとしています。
お話しいただいたお盆の行事のように、特定の場所や時にしか感じることのできない、神秘的で深いつながりを持つ体験は、まさにその地域やコミュニティの「たましい」と言えるかもしれません。それを今でも大切に思い出されること自体が、とても素敵なことだと思います。
ゲームを通じて、そうした過去の生活や風景を振り返ることで、現代の生活に何が足りないのか、何を大切にすべきかを考えるきっかけになることもあるかもしれませんね。