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6.大学入学直前〜論語を読む〜

こんにちは^^
私のノートをご覧になってくださる方、フォローしてくださる方、本当にありがとうございます。

前回、自分が探している答え(正しさ・真理)は「論語」と「聖書」にあると考えたという話をしました。(その理由については一つ前の記事をご覧ください。)

そして、大学受験が終わってから大学入学前までの期間で「論語」を読みました。


論語は、古代中国の学者である孔子の言行をまとめた本であり、人はどう生きるべきかや道徳観など、人として生きていくうえでの考えや規範が書かれています。
孔子は<キリスト・釈迦・ソクラテス>と肩を並べる、世界四大聖人の一人です。
日本は古くから論語の影響を強く受けてきたし、近現代においても、日本の近代資本主義の父と言われる渋沢栄一は論議を実業を行う上での規範としたという話は有名ですよね。

論語の説明はこのぐらいにして、この論語を読んで私が感じたことを話します。論語についてもっと知りたい方は各自調べてみてください。

私は論語を読んでたくさんのことを学びました。
中でも五条の徳と呼ばれる、
仁(思いやり)、義(正義)、礼(秩序)、智(智恵)、信(言行一致)
について深く考えさせられる書物でした。

当時高校3年生だった私がこの論語の全てを理解できたとは思わないし、今も論語で書かれている教えを自分のものにできているかというと、とても足りないところが多いです。

それを認めた上で、敢えて自分の言葉で論語を表現するならば、
論語は「分かってはいるけどできていない常識のようなものを行うようにさせる戒めの本」のように感じました。

「こうしたほうが良いよな。このように生きるべきだよな。」と分かってはいるけど、ついつい私利私欲を優先してしまったり、「仁」に反する行動をしてしまう私たちをよく戒めてくれる本、といったところです。

別の言葉で話すと、「新しい視点を与えてくれるもの」というよりは「良心を戒めることで、頭では分かっているけどできていないものをできるようにしてくれるもの」という印象を受けました。

そこで、論語は素晴らしい本であり、非常に多くの学びを得た書物であることには変わりないのですが、「良心」というレベルを超えたところでの「正しさ・真理」を知ることに欲を持った私は、大学に入学してからは「聖書」を読んでみようと思ったのでした。

普遍性と不変性の共通点を持った「論語」と「聖書」、次はいよいよ聖書の話に入っていきます。


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