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「ジョーカー・フォリ・ア・ドゥ」は本当に駄作なのか?

今更ですが「ジョーカー・フォリ・ア・ドゥ」の感想を書いておきたいと思います。

公開当時のSNSを見てると否定的な意見が多く、スルーしちゃおっかな〜?と思っていた筆者でしたが、ホアキン・フィニックスがオスカーノミネートしたときにゃ簡単に見れなくなるかも、という危機感で(笑)無理して平日に早上がりして隣町のシネコンに向かいました。

ちなみに上記の懸念を吹き飛ばすかのように12月21日今日現在では普通に500円くらいで配信レンタルしてるようなので、大作の配信までのスピードたるや最近すごいです。「シヴィル・ウォー」なんかはすでに見放題になってますね。逆に低予算映画ではそうはいかないようなのでイライラしますが。

さて本題に戻ると、SNSの反応を見て期待せずに映画館に向かった筆者ですが、結果的には非常に楽しめました。

SNS上の否定的な意見で目についたのは、ミュージカル仕立てなのがつまらない、ストーリーがつまらない、など。

確かに使用されていたミュージカル・ナンバーはオールド・ハリウッドに関心のない若いオーディエンスはピンと来ないのかもしれません。しかし筆者のように古い映画も意識的に見てるような映画ファンにとっては、「ああ、あの曲がここで使われるのか」といった感じで楽しめる作りになっています。

ミュージカル・パートで、これでもかと声を張り上げるガガ様には少し食傷気味で、半分は彼女のプロモーション映画になっている気もするのですが、そこには敢えて目を瞑りたいと思います。笑

また筆者が感心したと同時に複雑な感情を抱いた点は、つまらないと感じた人も多そうな、この映画の筋書きです。

感心したポイントとは、この映画の前作「ジョーカー」と合わせて見ると分かるのですが、どちらも出口なしの悲劇となっている点。最終的にはホアキン演じる主人公の人生に対して同情せざるを得ないのですよ。

その一方で残念に感じたのは、映画の公開がトランプ支持者の議事堂襲撃と重なったことで、前作の襲撃テロを肯定するようなエンディングに批判が集まり、トッド・フィリップス監督が怖気ついて前作のエンディングを自ら否定するかのような印象を残すことです。

違ったエンディングにすることもできたと思うのですが、監督は作家として道義的な責任を感じたのかもしれませんね。前作を放置したままでは監督のオファーも来ないかもしれませんし。

ということで単にミュージカル映画にとどまることなく悲劇を描き切ったこの映画は、駄作どころか深い問いを投げかける非常に優れた映画になっていると筆者は感じました。

批評サイトをみるとスコアが異様に低かったりして、やはり世間的には賛否両論のようですが、否定的な意見には耳を貸さず、自分の目と耳で判断することがいかに大事かを実感する映画体験となりました。






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