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☑️ 欲本 #2 『溺れるものと救われるもの』プリーモ・レーヴィ 朝日文庫|欲本日記

この本の言葉には、きっと血が染み付いているのだろう。なにかを表現するために書いたというよりも、生きのびるために書いたような、そんな言葉が並んでいそうな本である。

2冊目の欲本は、『溺れるものと救われるもの』である。

この本の存在を知ってから、もう数ヶ月は経過しているかもしれない。きっかけは『関心領域』という映画だった。アウシュヴィッツ強制収容所の真横で暮らす所長の家族の日常の風景をたんたんと見せる映画であった。この映画がなかなかのもので、いろいろな思考が駆動した映画だった。その後、ホロコースト関連のドキュメンタリーを観たり、いくつかの本を読んだ。

そのとき最初に手にとったのが、プリーモ・レーヴィによる生存記『これが人間か』であった。読み終えると、同じくレーヴィが書いた『休戦』も読みたくなった。

『休戦』は、レーヴィが収容所から解放されて、故郷のイタリアに帰るまでの旅路の話である。あれほど壮絶な日々を生き抜いた人が、どうやって、ある意味での"日常"を取り戻していくのか。読書を通じて、レーヴィの生還を読み届けたくなったのである。

『休戦』は岩波文庫になっているが、絶版で定価以上の価格になっていた。中古で流通はしていたが、財布と相談した結果、もうちょっとお手頃な値段の単行本の中古を調達した。文庫版に特別な追加文章がある様子はなかったのもある。同じくレーヴィの著書である『今でなければいつ』と2冊セットで出品している人がいて、その人から買った。

だが、『休戦』は数ページほど読んで、積んでしまっている。ホロコーストに関する読書は、なかなかきついものがあり、ちょっと精神的に休憩が必要になったのか、まだ『休戦』は読めていない。

そんなこんなで、我が家にはプリーモ・レーヴィの本は『これが人間か』『休戦』『今でなければいつ』の3冊ある。ここに『溺れるものと救われるものを加えたいと思っている。

この本は、買ったとしてもしばらく積むだろう。でも、確保しておくべき本のような気がしている。300ページほどの文庫で、値段は千円を切っている。お手頃だ。

いままで何度となく買おうか悩んだ本なのだが、近所の大型書店には在庫がないのである。置いていない。たまに行ったときに「いまは置いてるかな」と文庫ゾーンをのぞくも、やはり置いていない。余計に欲しくなってしまうのである。

そういえば、『ハイファに戻って/太陽の男たち』も近所の書店に置いてなかったのだった。結局、新宿に用事があったときに立ち寄った紀伊國屋書店で見つけ、確保した。あれからイスラエルとパレスチナの戦争が激化した影響でパレスチナ関連の本を押し出すようになり、いまは近所の書店も置くようになった。

欲本自体の話をあまりしていないな。

自らのアウシュヴィッツ体験を描いた名著『これが人間か』から約40年、記憶の風化を恐れたレーヴィは、改めてその体験を極限まで考え抜き、分析し、苦闘の末に本書をまとめた。だが刊行の1年後、彼は自ら死を選ぶ。

朝日新聞出版のサイトより引用

『溺れるものと救われるもの』という本は、レーヴィ自身がアウシュヴィッツでの体験を考え抜き、まとめた思考が書かれているのだろう。刊行から一年後にレーヴィは自らこの世を去ったと書かれているが、これは諸説あるようである。真実は本人のみが知る、ということだろうか。

1987年、自宅アパートの階段から転落して死亡(自殺とする説もあるが、遺書などの確たる証拠はない)。

Wikipediaより引用

著者がある意味で命をかけて書いた思考であり、その本を読んでみたいが近所の書店には置いていない。実物はまだみたことがない。ほんとうに存在する本なのだろうか。存在するだろう。書店で取り寄せるべきか、都心の書店にいったときに探しておくべきか。こういう本は、なにかのきっかけで話題になると、絶版になってしまう可能性もあるから、とりあえず確保しておきたい本である。

ウィトゲンシュタインを初めて知って、ちょっと調べてみたときも、同じことを感じた。この人は、なにかを表現したかったというよりも、生きのびるために書いたのではないか。書かないと生きていけなかったのではないか。レーヴィもそうだったのではないか。

追記:2024年11月2日に確保

欲本日記とは
ほしい本についての記録である。主テーマは「ほしい本」だが、関係のない話題にとぶこともある。「欲本」と書いて「ほっぽん」と読む。どうやら造語らしい。

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