
【百年ニュース】1921(大正10)3月22日(火) 原敬首相の妻あさが芝公園の本邸に帰宅。あさは昨年9月に重いリウマチを発症,12月以降は修善寺温泉で療養していたが,3月10日に腰越の原敬別荘に戻り,そして同日東京の本邸に帰宅。「なお多少の故障あれども,大体全快なり」(原敬日記)
1896年11月10日,原は妻貞子の京都行きを機会として別居し,離婚に向けて動く。
11月23日には母リツが東京市芝公園の原の自宅に移ってきて,1901年10月に盛岡の本宮村の旧宅に戻るまでの約5年間,滞在を続ける。
12月22日には,三年来の馴染みであった芸者の菅野浅を芝公園の家に入れ,リツらと対面させた。浅は原の期待通りリツと打ち解けて,気に入られた。
(中略)結局,貞子は1905年11月まで離婚に応じなかったので,浅はそれまでは事実上の妻として原を支えた。
原と浅は物の考え方や感覚が合い,生涯の伴侶となる。
伊藤之雄『真実の原敬ー維新を超えた宰相ー』講談社現代新書,2020
浅さんとの微笑ましいエピソードや、「あぁ…どこの家もこんな感じか(笑)」という、なんというか身近に感じる家庭感が人間くさくて…良い。
— あねがわ (@anegawa1570) November 15, 2019
政治の知識量はズワイガニくらいなので、私はヒューマン原敬から攻めていこうと思います。
浅さんエピソードは暗殺時の漫画をリサイクル掲載で許してね。 pic.twitter.com/tP4gA2Hhiu
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