【百年ニュース】1921(大正10)3月25日(金) 東京日日新聞で藤山雷太が趣味で伊万里焼を始めたと報道。藤山は佐賀藩出身,福澤諭吉門下直系の実業家。中上川彦次郎により三井銀行に。のち独立し大日本製糖など藤山コンツェルンを経営。当時は渋沢栄一,中野武営に続く第三代の東京商業会議所会頭だった。
藤山雷太は佐賀藩士の藤山覚右衛門の三男として生まれる。長崎師範・慶応義塾卒業後、県議会議員に。1892(明治25)福沢諭吉の斡旋により三井銀行に就職。「三井中興の祖」中上川彦次郎を助けて三井財閥の改革にあたる。
芝浦製作所所長に就任。王子製紙会社を買収。三井を去った後、東京市街電鉄・日本火災・帝国劇場の創立に参加。1909(明治42)渋沢栄一に乞われて日糖疑獄後の大日本製糖の社長に就任して再建。藤山コンツェルンを築き上げた。
1923(大正12)貴族院勅選議員。東京商業会議所会頭を務めた。長男は岸信介内閣で外務大臣、佐藤栄作内閣で経済企画庁長官を務めた政治家の藤山愛一郎。
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