【百年ニュース】1921(大正10)9月23日(金) ラテン歌手の宝とも子が広島県福山市で誕生。13歳で宝塚少女歌劇団入団,月組スターとして活躍。戦後は東京キューバン・ボーイズに認められレコードデビュー。ラテンのヒットを連発。『セ・シ・ボン』のセクシーな歌い方が物議を醸す。NHK紅白歌合戦4度出場。
ラテン歌手の宝とも子が広島県福山市で誕生しました。本名は追風八代子です。
13歳で宝塚少女歌劇団入団し、声楽専科に進みました。同じ24期生では元雪組組長、星組組長の天城月江がいます。戦中は月組スターとして活躍し、戦後は東京キューバン・ボーイズの見砂直照に認められ、1954(昭和29)年2月に『白樺の雨~星屑のタンゴ』でレコードデビューを果たします。
のちラテンのヒットを連発しますが、特に物議を醸したのが1954(昭和29)年4月に発表された『セ・シ・ボン』です。曲の中盤のセリフパートでの官能的な歌声がセクシー過ぎるとの批判の投書が相次ぎ、ついには発禁処分となりました。しかしこれが逆に注目を集めて評判となりました。
NHKの紅白歌合戦には四度出場し、1958(昭和33)年には本場ブラジルに渡って修行を積み、ラテンの女王と呼ばれました。1965(昭和40)年には日本ラテン音楽協会を設立し、代表として後進の指導を行う一方で、コンサート活動も積極的に行いました。
2001(平成13)年8月2日に死去、享年は79歳でした。
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