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【百年ニュース】1921(大正10)5月14日(土) 学園紛争が続く明治大学で予科の大会開催。前年12月木下友三郎学長退陣を求め紛争発生。学生を扇動したとして植原悦二郎・笹川臨風両教授が解職され,のち大学当局側は譲歩し二人の復職を認めるが,今度は文部省は植原復職を認めず。学生は文部省への反発を強める。
学園紛争が続く明治大学で予科の大会が開催されました。前年12月に学生たちが木下友三郎学長の退陣を求め紛争が発生しました。大学当局は学生を扇動したとして植原悦二郎・笹川臨風両教授を解職。のち大学側は譲歩し二人の復職を認めましたが、今度は文部省は植原復職を認めませんでした。学生は文部省への反発を強めました。
政治学者の植原悦二郎は、当時主流であった吉野作造の民本主義を超え、天皇に統治権はあるが主権は国民にあるとする、当時としては大胆な国民主権論を主張しました。国民党の犬養毅の要請で衆議院議員、のち犬養とともに政友会に移籍しました。1936(昭和11)衆議院副議長。戦後吉田内閣で入閣、日本国憲法にも署名しました。
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