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【百年ニュース】1920(大正9)9月13日(月) 原敬が山県有朋を訪問。腰越別荘から帰京の途中小田原の古希庵に山県を訪ね、午餐を共にし約3時間会談。田中陸相の辞表と自身の辞意を伝える。原の目論見通り山県は陸軍が内閣を瓦解させたとの世評を恐れ慰留。マスコミが会談内容を知ることはなかった。

「余より田中陸相進退に関し過日内談一時終局せしに、さらに別紙の辞表を出せりとてこれを示し、かつ同人辞せば後任にその人もあらんが、現内閣は今日まで相当のこともなしたり、過日も言いたる如くこのうえ人を代えてその位置に留まる考えなければ、当人幸いに辞意を翻せば可なるも、否ざれば余らも一考すべし、と言って暗に田中強いて辞すれば現内閣総辞職すべしとの意を諷示せしに、山縣は辞表を熟読して、左様の次第ならばこれを留むべく、かつこの文意にてはなおさらの事と思うにつき、この様にせられたは如何、この辞表を御手許に差し出し、侍従長を経て御下戻し相成り次第は新聞紙等にて世間に公にするも可ならんと言うにつき、余は聖断を仰ぐべきはもちろんなれども、単に聖断を云々するは今日の時勢においても考えものなり、内閣はあくまで責任の衝に当たるを要すとて先帝の御時代とは相違することを言いたるに、山縣は無論同感にて、すなわちこの辞表を御下戻の御趣旨を記して覚書を示し、その取り計らいを成すこと然るべしと言うにつき、余は然らばその通りなすべしと言い、なお陛下16日還幸のことを言いたるに、山縣は然らば日光に往くにも及ばざるにつき、還幸即日拝謁、右様の手順となすべし、その上にて田中何か言わばそのあとは自分引き受くべしと言う。よって余はその通りなすべく田中に対しては然るべき依頼すと言いおけり。

(中略)山縣また言うに、大隈が面会を望む由に内々聞こゆるにつき、近日天機伺等のため帰京の際会見するつもりなり、大隈の言うことは大概知り得べしとて判然大隈にかく言うべしとは言わざるも、山縣は大隈は内閣の倒壊を望むべし、しかし加藤高明局に当たらば普通選挙を実行すべくそれは危険の至りなり、現内閣は漸進主義にて結局普通選挙に相成るも適当の時期を選ばざるべからず、自分は徴兵令を布きたる当時にはもとより考えざることながら、すでに国民皆兵主義を実施したる以上には、他日ついに普通選挙となるも自然の順序なれども、今日は不可なり、ゆえに自分は現内閣と同論なり、またとにかく国防問題をも解決したるにこれを代えるの必要なく、而して更迭したりとて1年か1年半いたずらに大騒ぎをなすまでにて、国家に何の利益もなかるべしと言って、暗にかく言いしと言う趣旨にてまた内閣更迭に反対なることを内示せしにより、余は過日党員の質問に応じて答弁したる内閣更迭談に対する趣旨を言いおきたり。なお皇室のことに言及せしにより、余は重ねて政府は政事の全責任を負うべく、而して宮中に関しては今日の場合元老全責任を負うのほかなしと言いたり。」

『原敬日記(1920年9月13日条)』

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1919選挙法改正(納税10円→3円)で日本の有権者は2倍に。もし男子普選実施なら一気に10倍になるところでした。議会政治の本場英国でも過去最大の有権者増(1910改正)で2.8倍。原も山県もこの程度のペースが現実的(=限界)との判断でした。

伊藤之雄『真実の原敬』2020

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吉塚康一 Koichi Yoshizuka
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