【百年ニュース】1921(大正10)3月4日(金) 東京・大阪間に警察専用の直通電話回線が設置予定であると発表される。内務省警保局長の川村竹治によれば次期議会で提案,予算は80万円で議会通過次第工事に取り掛かる予定。逓信省の電柱を借り受け,途中名古屋と京都の両市とも連絡し1回線増設する計画。
内務省警保局長川村竹治の紹介をしたいと思います。川村は1871(明治4)生まれ。秋田県鹿角郡花輪村出身。旧制一高を経て東京帝国大学英法科へ。1897(明治30)卒業,内務省へ入省。1911(明治44)和歌山県知事。のち香川県知事,青森県知事を務め,1918(大正7)内務省警保局長に。百年前の1921(大正10)には49歳でした。
翌1922(大正11)内務次官を経て,南満州鉄道株式会社社長となります。1928(昭和3)台湾総督。1932(昭和7)には犬養毅内閣の司法大臣となりますが,515事件で政界を引退。夫人の川村文子は旧制武田文子,竹治と同じ秋田県出身で,学校法人川村学園の創設者として著名です。川村文子は1923(大正14)の関東大震災を体験し,女子教育の必要性を感じ,目白に川村学園を設立しました。現在の川村学園の学園長は子孫にあたる川村正澄氏です。
川村竹治は1955(昭和30)享年84歳で亡くなりました。
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