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【百年ニュース】1920(大正9)5月17日(月)午前8時半山県有朋が東京駅を出発し京都へ向かう。27日貞子夫人と木戸孝允墓前訪問。6月7日まで京都に滞在し東京に戻る。前年スペイン風邪で死にかけた山県は、死後の京都別荘「無隣庵」の管理を真剣に考えるようになった。6月に財団法人無鄰菴保存会設立。
山県有朋は5月の東京滞在中に陸軍軍医総監兼山県顧問医の平井政遒より、久邇宮良子女王(のちの香淳皇后)の実兄久邇宮朝融王が、1918(大正7)に学習院から海軍兵学校進学する際の身体検査で色弱(色覚異常)であったことを聞いたと考えられている。平井は12月に宮内省御用掛に就任。
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