【百年ニュース】1920(大正9)9月25日(土) 米国のユダヤ系銀行家ジェイコブ・シフ(Jacob Henry Schiff)没。享年73。1904日露戦争に際し高橋是清(日銀副総裁)の求めに応じ,最初に日本の戦時公債を購入(500万ポンド)。シフの引受けにより安心感広がり日本は計3回7,200万ポンドを起債,戦費調達に成功した。
「シフ氏はどこまでも誠実な人であった。
むろん銀行家であるから,自分が損をしてまでわが公債の募集を援助するわけはないが,さればといって,これで一儲けしようという単なる利益の打算から思い立ったのであるかといえば,必ずしもそうでもない。
あの時,シフ氏が五千万円というまとまった金を,とっさの間に引受けることを決心するに至ったについてについては,シフ氏の心中自ら成算あり,一般募集には相当の成績を挙ぐべき自信があった上に,万一それが不成功に終った場合は,自分たちの組合だけででも,それを引受けるだけの覚悟と資力とを十分に持っておったのであろうが,普通の銀行者から見れば,冒険視せざるを得ぬところであった。
したがって,シフ氏が何ゆえに自ら進んで,残りの五千万円を引受けようと申出て来たのであるか?
当時私にはそれが疑問で,どうしてもその真相を解くことが出来なかった。
その後シフ氏とは非常に別懇となり,家人同様に待遇されるようになってから,だんだんシフ氏の話を聞いているうちに初めてその理由が明らかになって来た。
ロシヤ帝政時代ことに日露戦争前には,ロシヤにおけるユダヤ人は,甚だしき虐待を受け,官公吏に採用せられざるはもちろん,国内の旅行すら自由に出来ず,圧制その極に達しておった。
ゆえに,他国にあるユダヤ人の有志は,自分らの同族たるロシヤのユダヤ人を,その苦境から救わねばならぬと,種々物質的に助力するとともに直接ロシヤ政府に対してもいろいろと運動を試みた。
したがってロシヤ政府から金の相談があった場合などには,随分援助を惜しまなかったのであるが,ロシヤ政府は金を借りる時には都合よき返事をして,それが済んでしまえば遠慮なく前言を翻してしまう。
だからユダヤ人の待遇は何年経っても少しも改善せらるるところがない。
これがために長い間ロシヤ政府の財務取扱銀行として,鉄道公債のごときも多くはその手を経て消化されておったパリのロスチャイルド家のごときも,非常に憤慨して,すでに十数年前よりロシヤ政府との関係を絶ってしまったくらいである。
右のような次第であったから,シフ氏のごとき正義の士は,ロシヤの政治に対して大いに憤慨しておった。
ことに同氏は米国にいるたくさんのユダヤ人の会長で,その貧民救済などには私財を惜しまず慈善することを怠らなかった人であるから,日露の開戦とともに大いに考えるところがあったのは,さもあるべきことであると思う。
そうしてこのシフ氏が第一番に考えたことは,日露戦争の影響するところ,必ずやロシヤの政治に一大変革が起るに相違ないということであった。
もちろん彼は,帝政を廃して共和制に移るというごとき革命を期待したわけではないが,政治のやり方の改良は,正にこの時において他にないと考えたのである。
すなわちこの政治のやり方を改良することが,虐げられたるユダヤ人を,その惨澹たる現状から救い出すただ一つの途であると確信しておったのである。
そこで出来るなら日本に勝たせたい,よし最後の勝利を得ることが出来なくとも,この戦いが続いている内には,ロシヤの内部が治まらなくなって,政変が起る。
少なくともその時までは戦争が続いてくれた方がよい。
かつ日本の兵は非常に訓練が行届いて強いということであるから,軍費にさえ行詰らなければ結局は自分の考えどおり,ロシヤの政治が改まって,ユダヤ人の同族は,その虐政から救われるであろう,と,これすなわちシフ氏が日本公債を引受けるに至った真の動機であったのである。」
高橋是清『高橋是清自伝』中公文庫
ジェイコブ・シフのクーン・ローブ商会はその後、子のモーティマー・シフ、孫のジョン・シフと継承されたが、徐々に経営が悪化。1977年11月にリーマンブラザースに吸収合併された。一時期ジョンは合併新会社の名誉会長も務めた。