【百年ニュース】1920(大正9)10月9日(土) 実業家,竹井博友が誕生。読売新聞退社後アサヒ芸能新聞を創刊,のち読売同僚の徳間康快に引継ぎ現在の徳間書店になる。不動産会社「地産」創業,チサンホテル等事業拡大。バブル期は株式投資で成功も,1991所得税法違反で逮捕,実刑判決。晩年は書画や陶芸の道へ。
地産の竹井さんともゴルフ場開発をめぐって話し合ったんだが,その頃の竹井さんはむしろ不動産屋というより,仕手筋だったな。しかも当時の仕手筋のなかでは間違いなくトップレベルの大物仕手筋だった。バブルの時は,それこそ蛇の目ミシン株とかいろんな株に手を出してボロ儲けしてたから。
仕手ってのは,何人かで仕手戦をやるんだよ。それぞれが何千万株ずつ持つじゃないか。それで株価が上がり切ったときに誰が一番先に売るか。この一番先に売った人間が一番儲けるんだ。皆でせーので買うんだが,まだ上がる,まだ上がると持ち続けたヤツが必ずババを引くんだよ。ひとりが売り抜けたら,ダダダダっと下がっちゃうからな。
竹井さんはそこんところの勘所が抜群だったから,何度も売り抜けたんだ。ググっと上がった時には,もう売り抜けている。
けど竹井さんは相手がヤクザだろうがなんだろうが,売り抜けをやっちゃうんだよな(笑)。一度,他の組織の大幹部相手に売り抜けてさ,竹井さんが追い込みをかけられたことがあった。それで俺が助けに入ったんだ。竹井さんから金預かって,竹井さんの代わりにその大幹部にお詫びに行ったことがあるんだよ。もう仕手はやりませんからって(笑)。
ところが竹井さんが脱税で東京地検特捜部に捕まった時に,この時の金が問題になってさ。俺も3回ほど特捜に呼ばれたよ。竹井さんは口が堅いから,俺のことは唄わなかった(供述しなかった)んだけど、竹井さんと2人して金を引き出すところを,銀行に見られちゃってたんだよ(笑)。それで銀行が調書取られてな。何月何日に竹井さんと後藤さんが来られまして,車にお金を積んでお帰りになられましたって(笑)。
それにしても竹井さんは口が堅かったな。あの脱税事件ではミッチー(渡辺美智雄元蔵相)とかに,立件されないよう頼んでたんだから。同じ栃木出身だから,パクられないよう捜査に圧力かけてくれって。結局ミッチーは何もせず,竹井さんはパクられちゃったけど。栃木弁丸出しの豪快な親父さんでさ。面白い人だったけど、晩年は寂しそうだったな。
後藤忠政『憚りながら』宝島社,2010
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