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【百年ニュース】1920(大正9)10月30日(土) 岸田劉生が娘の麗子を連れ東京市内へ出かける。家族想いの劉生は自身の日記に妻の蓁(しげる)や麗子への思いを詳細に書き残した。この頃岸田は翌1921(大正10)聚英閣から出版する『劉生図案画集』の打合せのため時折鵠沼から上京した。

「本当の秋日和なり。今日はいろいろの用事を兼ねて上京しようと思い立ち,麗子をつれて出かける。麗子をつれて出るのは珍しい事なり。

10時12分の汽車で上京,新橋の二階で昼食。麗子が西洋菓子をよろこんで二つとって食べた。靴がちょっといたんだので桜田町の靴やでなおしてもらったら代をとらなかった。文房堂にて買い物し,信盛堂で洋傘をとり地球堂にてデュレル,エックなどの画はがきとる。

流逸荘に寄り,八百円の代を千円に直したりし,打ち合わせして田中松太郎氏に寄る。麗子坐像,村娘水彩坐像など色刷が出来ていた。まあいい方の出来なるべし。自画像の二色版もまあ感じはある。聚英閣で麗子単衣の坐像を色刷にせず『白樺』の版を用いる事にいつの間にかしてあったので不快であったが,電話で話して余の意の通りにさせた。

田中氏で麗子にぜんまい仕掛けで人形が廻る数あてのおもちゃ買わせてくれる。麗子大喜びなり。

リンゴなど御馳走になり,目方があったのではかったら服をつけて17貫2,3百(*64.8kg)あった。麗子は5貫(*18.75kg)ほど。

それより電車で銀座に出る。銀座で人形買い松喜とまちがえてほかの肉屋に入り夕食し,5時45分の汽車で帰宅。」

岸田劉生著,酒井忠康編『摘録 劉生日記』岩波文庫,1998,61頁,1920(大正9)10月30日条

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