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【百年ニュース】1921(大正10)8月24日(水) 米墺(オーストリア)平和条約が調印される。翌日には米独平和条約も調印。米国は国際連盟との関わりを断つため,多国間条約であるヴェルサイユ・サンジェルマン両条約に調印せず,個別の二国間条約で第一次世界大戦を法的に終結させた。
米国が第一次世界大戦を公的に終結させる二国間条約が締結されました。24日にはアメリカとオーストリアの間で米墺平和条約、翌25日にはドイツとの間で米独平和条約が調印されました。
第一次世界大戦に関係した多くの国は、1919年のパリ講和会議ののち、ドイツと間のヴェルサイユ条約、オーストリアとの間のサンジェルマン条約に調印し、これらはいずれも多国間条約でありますが、こちらに調印することで戦争を終結させました。日本も調印いたしました。もう少し付け加えますと同じような形態の多国間条約として、オスマン帝国との間のセーヴル条約、ブルガリアとの間のヌイイ条約、ハンガリーとの間のトリアノン条約もあり、いずれも多くの関係国が調印しています。
これらの条約の条文は、特にドイツとの条約であるベルサイユ条約は440条もある膨大なものですが、そのなかで最も重要なパートは、最初の第一遍、1条から26条までで謳われております国際連盟に関する条文で、これがそのまま国際連盟規約になっているわけです。1919年6月28日、44か国が規約に署名しました。
しかし大国のなかでは唯一米国だけが調印しませんでした。正確に言うと、米国の第28代大統領ウッドロー・ウィルソンは調印したのですが、翌年1920(大正9)3月19日に米国上院がこの条約の批准を拒否し、参加することが出来ませんでした。民主党のウィルソンに対し、上院は野党の共和党が多数を握っていました。この国際連盟の創設はウィルソン大統領の国際的指導力で実現にこじつけることができ、また1919年10月にはこの功績でウィルソン大統領はノーベル平和賞まで受賞しているのですから、ウィルソンにとっては大きな打撃になったのは言うまでもありません。
翌1921年3月4日に共和党の第29代大統領ウォレン・ハーディングが誕生すると、外交責任者である国務長官のチャールズ・エヴァンズ・ヒューズは、国際連盟規約のある多国間条約にはよらず、それらを切り離した形となる二国間条約で,第一次世界大戦を法的に終結させたということになります。ハーディング政権は、いまいち知名度が低いというか、日本でも関心が寄せられることが少ないのですが、共和党の有力者ヒューズ国務長官のリードのもと、1921年から翌1922年にかけてワシントン会議をまとめあげるなどなど多くの実績を残しています。
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