【百年ニュース】1922(大正11)1月1日(日) 脚本家の須崎勝彌が京城府で誕生。父は三菱鉱業社員。1944(昭和19)東北大学法学部繰上卒業,学徒出陣で出水海軍航空隊に配属。終戦後新東宝に入社。1968(昭和43)『連合艦隊司令長官山本五十六』,1981(昭和56)『連合艦隊』の脚本担当。2015(平成27)没,享年93。
脚本家の須崎勝彌が旧朝鮮植民地の京城府で誕生しました。父は三菱鉱業社員で当時は京城支社に勤務していましたが、のち両親ともに亡くなり父の郷里、鹿児島県串木野で育ったようです
第二次世界大戦の最中東北大学法学部に進学しますが、1944(昭和19)年に繰上げ卒業となり学徒出陣。故郷の鹿児島県串木野にほど近い出水海軍航空隊に配属となります。少尉として任官し、沖縄戦に出撃するなどし終戦を迎えました。
1947(昭和22)年に新東宝に入社。企画部に配属となりますが、のち演出部に異動となりました。1951(昭和26)市川崑監督が新東宝で撮影した最後の作品『ブンガワンソロ』の助監督としてデビューしました。翌年佐伯幸三監督の『明日は日曜日』で脚本を担当し、以後は脚本家として映画界に関わっていくととなりました。
1953(昭和28)年に新東宝を退社し、一旦大映東京撮影所を脚本契約を結びますが、1955(昭和30)年に東宝に入社しました。のちフリーとなりますが、1968(昭和43)年の『連合艦隊司令長官山本五十六』、1981(昭和56)『連合艦隊』など戦記映画の脚本を多く手掛けました。
2015(平成27)に慢性腎不全により死去、享年は93歳でした。
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