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目の不自由なおばあちゃんから『本当の自由』を教えてもらった気がした。

久しぶりに出勤してちょっとくたくただけど、前よりかは体調良きだと感じている、よしです。


体調が悪い時は出勤途中で"もう"今日が終わった"かのようなダルさや疲れが発動していて、帰ってくる時の体力がないことがわかりきっていたのですが、今日は久しぶりにほどよい疲れで帰ってきている感じでした。



お仕事帰りにはプレゼントを選ぶためにショッピングを少ししたりと活動的な1日でした。「喜んでもらえるかなぁ」とか考えながら物を探したりするのってやっぱりいいですね。



ただ、お目当てのものがなかなか見つからずで結局買わずに、なぜか自分の靴だけを買って帰るという謎の現象が起きました。新年度始まるし気分転換にいい納得のいく靴を買ったのでよしとします!!!



あとひとつ嬉しかったというかちょっと自分なりに行動できてよかったなって思った出来事があって、タイトルにも繋がるのですが、帰りの電車で疲労感感じながら座ってたんですよ。



その時にたまたま目の不自由なおばあちゃんが目の前にいらしたので、席をお譲りいたしました。


譲るのはいいけれど、座る位置が分からないかもと思い声をかけつつ背中に手を当てて腕を持って座って頂きました。おばあちゃんから「ありがとう」って言ってもらえました。なんだか心が暖かくなりました。


その言葉をいただいて嬉しかった理由は、実は数ヶ月前にすごく体調が悪い時に電車に乗っていて(メンタルダウンでほんとしんどい時期)お譲りできなかったことがあったんです。



体調悪いからしょうがないと思いながらも少し罪悪感がありました。見て見ぬ振りをしてしまったなぁという感じで。



これまでを振り返ってもそんなシーンはいくつかありました。コンディションによって周りの人に向けれる優しさが変わります。今日は少しだけ優しい心で行動しておばあちゃんのありがとうにさらに優しい気持ちになりました。



長距離移動をされてる方なのかな、たまたま降りる駅も同じでちょっと気になったのと、かなり乗降者数の多い駅だったのですごい人がたくさんいて心配で少し遠目から見ておりました。



そんなおばあちゃんを眺めながらふと思ったんです。「不自由」という言葉になんだか僕は違和感を感じました。「目の不自由な〜」という表現をしてしまったけれど、おばあちゃんは堂々と生きていて自分の足で歩いてるし、目的地までまっすぐ向かっていて。なにも不自由には見えない。


身体は不自由なところがあるのかもしれないけれど、心までは不自由になっていないと感じました。感じたというよりおばあちゃんがそう僕に語りかけてるように感じました。


心はいつだって自由なんだと思いました。この世界は社会は変化がとても激しいです。いろんな成果を求められます。いつしか誰かの目ばっかりを気にしてしまいます。他者の評価を気にしたりして、他人の期待に応えることばっかりを考えてしまって、身動きがとれなくなります。


やりたいことを我慢して、自分の心に蓋をする技術をたくさん磨いてしまって、気づいた時には蓋の開け方さえ忘れてしまっているのです。


身体は不自由なところはないけれど、心は不自由なのです。



「心は誰にも縛られることはないよ。」


てくてく歩いていくおばあちゃんの背中にはそんな言葉が書かれているような気がしました。不自由って思っていたのは自分であって、心までは不自由なんかじゃなかった。さて、今の僕はどうだろうか。



ぼくはこれからどう生きる。
ぼくはこれからどう生きたい。




決めるのは自分自身だ。
心は誰にも縛られない。



心ゆくままに生きていこう。
大切な大切な命を生きていこう。


小さなひとつひとつのことに
感謝して大事に大事に生きていこう。


帰省してめっちゃ親孝行しよ。
ありがとうを伝えようと。


今日を頑張った自分を最大に褒めて
今日にありがとうして寝よう。


久々の出勤で疲れてたけど
なんだか今は心地よいのは
きっと大事なことに気づけたから。


おばあちゃん、ありがとう。

これは僕が『鬱』を克服し
最高の人生を歩み始めるまでの物語だ。

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