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母親でありながら自分の人生を生きる!「母親になって後悔してる」感想•要約
今更ながら話題の本を読みました!
要約と感想を書いていきたいと思います。
ザックリ要約
読んだのちょっと前なので曖昧な部分もありますが覚えていることを書きます
母親への社会的な要請
いかに育児が神聖化されているか。女は全員母親に向いていて、育児が最大の喜びで、滅私奉公して当然と思わされている。後悔なんて感情を持つことは許されていない。
後悔する=子どもの存在の否定であり許されない。
育児は辛いこともあるが、いつかは忘れる、将来的には必ず母親になって良かったと思える日が来るという理論がまかり通っている=母親は記憶すら制限されている。
産んで終わりでは無く「良い母親」かどうかを常に判断されている。行動も規制されている。
女は主体的な存在(subject)ではなく、他者との関係によってのみ成り立つ客体(object)と見なされている。
筆者が研究を通じて明らかにしたこと
母親に向いている人もいれば向いていない人もいる。(当たり前)
母親になって後悔している人もいる。(そりゃ物事には必ず良い面も悪い面もあって当然)
母親になって後悔していても、子どもは愛している。母親という役割について後悔している。
後悔している理由は様々で、失ったものが多すぎる、周りの協力が無く大変すぎる、責任が重すぎる、単に向いてない等。
母親も後悔等の感情を持つ主体で、親子の関係も他の人間関係と同じく主体的なものである。
気づき
私も育児に向いていない。やっと認めることができた。(妊娠中からエコー写真や胎動を愛おしく思ったことはなく、私っておかしいのかな?とは思っていた)
育児だけ辛い•後悔•向いてないと言うことが許されないのはおかしい。育児は大変で、辛いことも後悔することもたくさんあって当然。その苦痛を喜べというのはおかしな話。向き不向きもあって当然。
当たり前なことに気づけていなかった。それだけ無意識に社会の要請に従って生きてる。
子を愛しているかと育児の苦痛は別の話。子を愛していても育児は辛いし苦痛は少ない方が良い。
育児の神聖化は人類が滅亡しないため、資本主義社会が成り立つための必要悪。社会的な要請。でもそれに従って犠牲になる必要はない。社会のために子を産んで良い母親にならなくて良い。自分のために生きて良い。
自分も「良い母親」を無意識に演じている。子どもに話しかけている時の自分は自分らしくないと、ずっと違和感を持っていた理由がわかった。
これからどうしたいか
母親でありながら自分らしく生きたい!!
良い母親を演じるのを辞めて、自分のままで子と接したい。
とはいえ具体的にどうすれば良いかはまだ分かっていません。
自分のやりたいことをやる?
やりたくないことをやめる?
どうしたらそうできるのか、どうして今それができないのか、やらない/やる理由は「悪い/良い母親になるから」ではないか、一つ一つ考えていくことからかなと漠然と思っています。
例えば1人海外旅行
独身のときは好きで何度も行きました。
子ども産んでからは一度も行っていません。
それは悪い母親になりたくないから?自分がしたくないから?夫に負担をかけたくないから?
子どもへの読み聞かせ
子どもが喜んで自分が嬉しいから?自分が楽しいから?それとも良い母親でいたいから?
何度も繰り返すのは本当はすごく苦痛
じゃあ2回までにするのもあり?
自分の好きな本にする?
色んな理由が合わさっているとは思いますが、その中で「良い母親」と自分のため、ちょうど良く折り合いを付けられる場所を探していきたいと思います。
その時々で、良い母親を演じる時もあっても良いし、悪い母親になって自分のやりたいことを追求しても良い。
でも総合的には「我慢して良い母親を演じてるママ」より「楽しそうに好きなことをしてるママ」の成分を増やしていきたい。
子にもその方が良い気がする。
↓この本にも「自分を労らないのは他人への暴力」ってありました。柚木麻子さんは心に刺さる名文が多すぎる…
総じて、母親が、自分が、いかに社会からの要請を受けてがんじがらめになっているかに気づけた良い本でした。
おすすめです!