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ショートショート 忍法 『俺なら出来る!』

 私の弟は、とびきり優秀なのにどこか抜けている。
 忍術学校に在学中は、抜群の成績で周囲からの注目を一身に集めていた。座学でも実技でも、弟の右に出る者はいない。そして、こう言っては何だが、弟はそれなりに見栄えも良く、女子からの注目度も高かった。同じ学校に通う姉としては鼻が高く、私自身の容姿はそれなりにも関わらず、『あの弟の姉』ということで、自然と私の評価も吊り上げられていた。

 弟の人生は、何もかも順調に思われた。そう、歴代トップの成績で、総代として忍術学校を卒業するまでは。
 皆が注目した弟の進路。弟が選んだのは、城の殿様に仕えることでも、フリーの隠密忍者になることでも、ましてや忍術学校の師範になることですらなかった。何と弟は、「どうしても師事したい、憧れの忍者がいる」と言って、東郷稲辺江(とうごういなべえ)という老忍者に弟子入りをしてしまったのだ。

 老忍者とは聞こえがいいが、東郷稲辺江(とうごういなべえ)本人がそう言っているだけで、実際はただの変わったヨボヨボじいさんだ。しかも、忍者であったのはとうの昔で、年を取って今は引退し、質素なわらぶき屋根の下でひとり暮らしていた。喰えない、フザけた老人。それが、周囲の人々から伝え聞く評判だった。

 弟はどうやら、毎日その東郷稲辺江のもとで修業を積ませてもらっているらしい。といっても、その修行の内容は、ほとんどが稲辺江の普段生活のお手伝いだ。掃除から洗濯・炊事、そして稲辺江の身体のマッサージまで。
「直之、いいかげん目を覚ましなさい!」
 私がそう言っても、弟はただ笑って話を逸らすだけだった。

 そんな弟がある日、目を輝かせ有頂天になっていた。喜びを抑えきれない、そんな様子で、童子のようにぴょんぴょん飛び跳ねている。私のことに気付くとすぐ、こう言った。
「姉上、聞いて下さい! 私は、私はとうとうやりました! 東郷師匠から、仮免許皆伝をいただきました」
 ドヤ顔で、満面の笑みを浮かべてくる。

 ……ん? 今、何つった?
 気のせいだろうか? 免許皆伝の前に、”仮”、という言葉がついていたような気がする。いやいや、きっと空耳だろう。そう思いながらも、胸が妙な動悸に襲われる。じんわりと、心にイヤな汗が流れた。
「仮免許ですよ、姉上! 仮免許皆伝! いやー嬉しいなあ。何でも、東郷師匠から仮免許皆伝をされたのは、過去にも例がないと。そう、東郷師匠ご本人が言ってました」
 こみ上げる喜びがおさまらないといった様子で、弟はそうのたまった。

 そりゃそうだろ? なんたって、東郷稲辺江に弟子入りしたのは、今まで直之しかいないんだから。しかも、仮免許皆伝って……何だよそれ? 免許皆伝に、ふつう”仮”なんてあるか?
 ツッコミどころは満載なはずなのに、無邪気に大喜びしている直之を前にすると、あっけに取られて何も言えなくなる。
 そんな私に、直之がさらに追い打ちをかけた。

「これからは、今まで以上に修業が厳しくなるそうです。なんでも、水の上を歩く術とか、口から火を吐く術とか、壁抜けの術とか、大変な修業が目白押しみたいで……。あー、もう俺、楽しみで楽しみで、信じられません!」

 信じられないのはこっちだよ!!
 胸の中で叫んだ私の声は、当然直之には届かない。
 一体、弟の頭はどうなってるんだ? 水の上を歩く? 口から火を吐く? 壁抜け? そんなの、出来るわけないじゃん! 忍者ができることといえば、早く走って跳んで隠れて――。せいぜい、手裏剣やクナイを巧みに使うのが関の山。

「よーし、俺はやる! 絶対にやってやるぞー!」
 その、手裏剣やクナイを使わせたら村で右に出る者はいない弟が、決意の咆哮を上げた。どうやら弟は、より現実離れした忍術を極める方へと舵を切ったようだ。鼻息も荒く、全身にやる気を漲らせている。
 ちょっと抜けた弟だけど、その分思い込みの強さと集中力、そして、物事を継続する忍耐力はピカイチだ。伊達に、忍術学校を抜きん出たトップの成績で合格してない。

 まさか、ね……。
 力が有り余り、今にも懸垂を始めようとしている弟を横目で見ながら思う。
 直之、まさか水の上を走れるようになっちゃったりして……?
 フッ、フッ、フッ、と、軽快に懸垂を始めた弟を見ながら、妙な気分が頭をもたげる。
 (必ずできる。絶対にできるようになる)
 そう強く念じて挑戦し続ける人間が、結局は物事を成し遂げちゃうのかも……?

 直之よ、がんばれ。お前のその、ド素直で一途な挑戦を、姉は応援しているぞ。
 白々しくも温かい目で、私は懸垂に励む弟の姿を眺めた。

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