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自他力本願は祈りではない
祈りとは元来、神頼みのような他力本願ではない。
願うのではなく、イメージすることだ。
具体的に詳細に、これ以上にないくらい鮮明に、何度も繰り返すのだ。
そして実際に、その通りに行動し続けること。
あたかもイメージしたままの自分であるように振舞い続けるのだ。
どんなに馬鹿らしいことでも、些細なことでも、突拍子のないことでも。
何年でも、何度でも、自分の思う自分になるまで。
思うままに行動し続けることこそが誠の祈りである。
祈りが成就するまで諦める必要はないのだから。
あきらめさえしなければ、最後には必ず成功がやってくる。
成功とは、読んで字のごとく「功を成し遂げる」ことをいう。
最後まで功を立て続ける様をこそいうのだ。
そうして、途上であきらめることをして、後悔という。
自分の成さんとすることを途中で投げ出し、あきらめ後からそのことを悔やむことをいうのだ。
そのうえでなお、またそれを失敗であったと、長年繰り返し嘆き悲しむというジレンマをも伴う。
自ら苦難を引き寄せるくらいなら、はじめから願わなければよかったのだ。
ともすれば、少しでも浮き沈みの少ない人生をおくれたでありましょう。
なればこそ、今後もし願いが沸き上がってきた暁には、正しく祈りの力を使いましょう。
現状がどう変わってゆくのが自分にとって心地の良い結果となるのか、そのことをまずは落ち着いて丁寧に整理しイメージすることです。
周りの喧騒に惑わされることなく、己の中の思い込みによる雑念に邪魔されないように。
実際の行動はマイペースに、あせらずリズムを大切に休む時は休む、止まるときは止まる、時間をかけて丁寧に。
決して自分の願いが思い通りになるのではなく、どのような結果が待ち受けていようとも、自分は大丈夫、全部受け入れられると信じ切ることです。
行動の結果、思いもよらない出来事が起こったとしても、すぐに結果が出なくても、自分の足で一歩一歩大切に進みましょう。
その道程こそ祈りの先にある、自分だけの道なのですから。
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