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もうそっとしておいて

「予習復習したほうがいいよ」「やっぱプロテインだよ」「え?これしらないの?」「っぱお金は大事だよね」「健康は大事よ?」「多様性を尊重する」「LGBTへの理解を深めよう!」

もっとこうしたほうがいい、これはしないほうがいい………。

鬼の首を取ったみたいに人のアラを探して誇るなんて馬鹿みたい。

名もなき花たちがそうであるように、わたしも歌いたいときに歌うし、踊りたいときに踊るだけ。

もうわたしに干渉しないで、邪魔さえしないでくれればいいから。どうして生まれてきたとか、どう生きるべきかなんてどうでもいい。ただわたしは私として存在していたいだけ。

もうすでに幸せなのにまわりをウロチョロかき乱さないで。自分のスキなものがスキだし、自分のペースはわかってる。その瞬間にできることをやりながら生きていくだけ。ただ何となく幸せを感じながら歩んでいきたいのだ。

「スマン、お前らのいう正義とかどうでもいいわ」

やらないよりもやる偽善、それってとてもキモイ(個人的感想

慈善事業はお仕事なので好きにすればいい、けれど押しつけは真っ平御免被る。やりたいことがわからない、何をすればいいのか迷っている、だから人助け。

それって余計なお世話、困っている人たちは、いい人ぶりたい暇人のおもちゃじゃないから。何をすればいいか、やりたいことがわからないなら、黙ってじっとしてればいい。

名うてのアーティストたちの「好きなことをしなさい」なんて押し売りにもあきたし、そんな著名人(笑)たちにあこがれちゃう自分にも嫌気がさす。

いまどんなに輝いていようとも、かつて没落した偉い人達みたいに栄華は長くは続かない、どうせ元の木阿弥。

資本主義だからその他大勢へのサービスが主流になると分かっているはずなのに、それでもなんだか虚しい。勝手に疎外感を感じ孤独さを自ら加速させる。

ともすれば、マジョリティ側の人間はそうではない人間を正そうとすることで、自己のアイデンティティを正当化しがち。一方、自分がマイノリティだと思い込んでいる人たち。一体どういうわけか自分では気付けない趣向。

本当はみんなバラバラなのに、同じパズルのピースみたいに振る舞う。そんなわけないのに。ありのままの自分で生きてゆかねばならぬのだから、死なないようにただ生きればいいのだ。

日々のニュースやSNSでの話題をおもんばかるに、この世は本当に有象無象だと思わざるをえない。だがしかし、そう思っている自分はどうなのか。そもそもこれらの情報に意識を向けている自分は何様なのだろう。

当事者ではない自分はいつも安全な場所から彼らのことを面白おかしく眺めていないだろうか?

この世には普通なんてありはしない、誰もかれもが人との違いに苦悶し、ときに死にたくなる。あるいは、寂しさのあまり自己欺瞞の中、はた迷惑な言動で世間を賑わせることもあるだろう。

自分と同様な彼ら、けれどもたまたま自分は恵まれていたから当事者たりえなかっただけで、時と場所に選ばれれば自分だってそうであったかもしれないということをどうして否定できるだろう。

大丈夫、自分は彼らのようにはならない。………自分はきっと大丈夫、と思い繰り返し今日も明日も根拠なく生きる。いっそ透明になれればどんなに素晴らしいだろうと夢想しながら。

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なすの
ここまで読んでくれたことに感謝。 これからも書くね。