この世の反転衝動、順番が逆なの
自分の表現がはじめ誰からも評価されないのは当然のこと。
可愛いとかキレイだとかいきなり欲しがるなんておこがましいったらありゃしない。
じゃあ、どうすれば?
それはまず自分の得意を生かしてその場所に行くの。
自分磨きやお化粧頑張ってるよ?
でもそれって自分の小さな世界の話じゃない?
そこは自分だけの場所じゃないでしょ。
右へ倣えで多数の中に埋もれるんじゃなくて、自分が輝く場所を作るの。
そうやって人が集まりだしたら、次に自分が今後どうしたいかをハッキリ言って。
それとね、言ったらといって終わりじゃないから気を付けて、だってはじめは何も起こらないどころかせっかく集まった皆がバカにしてくる。
でも自分の旗は絶対に降ろしちゃダメなの。
何故なら現実が変わるには相応の時間がかかるから、大きな夢ならそれは猶更、何年もかかることもある。
だからあきらめちゃダメ、自分で自分に降参さえしなけばいつか必ず何かが起こるの。
ここで重要なのは、起こるのはなんだかよくわからない何かであって、願いが叶うんじゃないってこと。
必ずしも自分が望んだ結果ではなく、むしろ自分が想定していないような可笑しなことこそが起こるの。
でもそれでいい、はじめに自分が夢見ていたことはただの動機付けに過ぎなかったんだから。
いい?夢が叶ったなんて俄かに喜んでいる、自分の周りの勘違いチャンたちに惑わされないで!
彼らは偽りの夢現の中を生きていることにまだ気づけていない。
自分の夢が叶うということの本質を理解できないでいるだけ。
だから仮に自分の周りに人が増えてきても、そこで一時的に満足しないで、そんなものはまだスタートラインですらない。
自分の可能性を決めつけ夢が叶ったと悦に入っている彼らと同じになる。
合図は必ず自分の中からやってくる、その日まで自分の旗を振り続けるの。
自分の鼓動がこれ以上にないくらい高鳴ったらそれが合図、その音色は自分にしか聞こえない。
だから周りの声なんか無視するの。
「もうそろそろじゃない?」「君はもう十分だろ?」「本当に大丈夫?」
自分を取り巻くそれらの声は自分を加速さるための反転衝動。
自分で自分に贈る言葉を周りに言わせているだけ。
まだ自分が飛び続けられるという拍手喝采。
自分の活動に引退なんてない、その鼓動が止まるまでゴールじゃない。
それが自分を生きるという幕間劇、つまりは人生。
すべては自分次第、その生涯ただの一ミリも自分を下げなくていい。
降参するのはいつだって周りのほう。
だって『自分らしく生きる』『あるがままを生きる』『本来の自分に戻る』
そのために自分を取り巻くすべての現象が起こっているのだから。