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ギャンブル・ゲーム依存症と決めないで

ゲームやギャンブルへの依存性が問題視されてよりどのくらいの時が流れたでしょう、随分時が流れた気もします。

私はいわゆる氷河期世代であり、家庭用ゲーム機やその後のオンラインゲームのブームの中心となった世代であり、パチンコやパチスロが最も盛り上がった世代でもあります。

ある意味私たちの世代が最も濃厚にゲームやパチンコを体験したことになります。かくいう私も周りの同世代の人たちと同様にそれなりにゲームやパチスロに触れる機会がありました。

本日はこれまで実際に私が経験した体験を通して、私がゲームや一部ギャンブルへの依存性について、これはあくまでも個人的な考えではありますが、そちらをシェアしたいと思います。

よければ最後までお付き合いください。

80年代、家庭用ゲーム機が誕生

私の幼少期、1983年に任天堂よりファミリーコンピューターが発売され、以後家庭用ゲーム機の時代が到来しました。

少なくとも私の周りの同年代の多くが家庭用ゲーム機で遊んでいました、当時の言葉で言えばブームだったのです。

私も周りのみんなに刺激を受け、少ないお小遣いを数か月貯めて中古のソフトを購入してプレイする、友達とソフトを交換して遊ぶという流行の波に乗っていました。

でも私は本当は友達と公園で創意工夫して遊ぶのが好きでした。

正直当時のゲームは現在と比べてお粗末極まりのないもので、お世辞にも創造性の高いゲームは皆無といってよいものでした。

勿論、素晴らしい作品も多数あります。
ここでいう素晴らしいとは芸術性の高さとかその類のお話です。

人それぞれ好きなものは違っています。

でも明らかに一部のゲームは、スタジオジブリや京都アニメーションの手がけたアニメ作品のように創造的であり、黒澤明監督やスタンリーキューブリック監督の映画のように芸術的なのです。

私自身にそういった素晴らしい感性はおおよそ備わっていないので、偉そうなことは申し上げられないのですが、触れていて自分の中から色々湧き出してくる作品が子供の頃より大好きだったのです。

例えば、鳥山明先生のドクタースランプアラレちゃんやドラゴンボール。
例えば、水野良先生のロードス島戦記。
例えば、三国志演義。

私は先に述べた通り、創造性豊かなものが大好きだったので、かなり早い段階で家庭用ゲーム機には夢中になれなくなりました。

そして時を同じくして先ほど少し触れた偉大なクリエイターによって生み出された作品へと意識をシフトチェンジしていきました。

私は夜通し、三国志のお気に入りの戦いのシーンをノートに自分なりに図解し書き写しました。

私は夜通し、ロードス島戦記から得たインスピレーションから自分のオリジナルのテーブルトークRPGを作りました。

私は夜通し、少年ジャンプのドラゴンボールの扉絵をトレースし、自分なりのコマ割りやセリフで二次創作したりしました。

自ら作り出す側へと変わりつつあった私は、学校で自分の作ったゲームを友達にプレイしてもらったり、自分の書いたオマージュ漫画を読んでもらって感想を得てさらにそれらを改良していきました。

はじめは感心していたクラスメートたち、当然そんな日々は長くは続きません。やがて私は周りから孤立していきました、中学校二年生の頃の話です。

何故なら周りの子たちはお父さんやお母さんからお勉強や部活を頑張るように言われ、それを頑張っていたからです。

そんな子たちの中で私は何一つ頑張っていませんでした。
毎日自分が好きなことをしていたため、頑張っているという自覚はありませんでした。きっと他の子たちは、私のような子とは遊んではいけないと保護者たちに言われていたでしょう。

それも無理はありません、心身ともに未成熟な中学生はこれまでの賢い大人たちが作ったカリキュラムの中で育つほうが自然だからです。

はじめから自分の中から出てくるものを現象化させていた私は普通の枠組みからははみ出してしまっていたのです。
そのことに気づいた私は次第に目立たないように周りと協調して生きる道を選ぶことにしました。

その方が私にとっても遥かに楽だったからです。

その後の私は、それまで一度も聞いたこともなかった学校の先生の話に耳を傾けたり、自分なりに勉強に前向きに取り組むことにしました。

今にして思えばこのタイミングで人並みに学校生活を過ごすことができたのは自分にとっては非常に有用であったと思います。

そんな私の進路は、勉強が不得意ということはなかったのですが、すぐに手に職つけて働ける環境に身を置きたいと思い、調理師になりました。

暗黒のパチスロブームと私の新卒社会人時代

県外のとんでもない田舎で住み込みで働くことになった私、朝4時から6時の間に起き、夜寝るのは0時付近。
元々体力に自信のなかった私は、そんな生活に3年で疲弊し、実家へとトンボ返りすることになりました。

社会人になってから覚えたのはお酒とパチスロというどうしようもないものでした。若かった私にとって、コンビニは新しくできたローソンが一軒だけ、そんな田舎での癒しはそのくらいしかなかったのです。

ただパチスロについてははじめから妙に惹かれたのです。
当時の空前のパチスロブームとは無関係に衝動的になれたのです。
正直パチスロの稚拙なシステム、これには全く惹かれませんでした。
元々ゲーム世代の私にはその仕組みは退屈なものだったからです。

パチンコやパチスロのその仕様はゲーム等と同じように一定のプログラムに基づいてその挙動が決まっている単純なものです。
私が惹かれたのはその点ではなくもっと別のことでした。

それはパチスロ機一台一台に当たり外れの周期のようなものが存在していること。そして当たりを引き当てる人と、そうではない人が存在する理由でした。

私はその理由が知りたくて数年間、色々と自分なりに考えました。本来であれば店が設定したペイアウト通りに確率は収束しなければおかしいはずです。でも必ずしもそうはならないのです。

私は限られた時間の中で足しげくパチスロに通いつつ幾つかの自分なりの仮説にたどり着きました。

それはかなり限定的ではありましたが、ある日を境にかなりの高確率でその波のようなものが予測できる段階までたどり着いたのです。
事実、私はその後かなり安定的な収支を拾い集めるようになりました。

この段階でなにやら目に見えないよくわからないものがこの世界には存在していることに気づいた私、でも同時にパチスロ自体に全く興味を失ってしまいました。

はじめからパチスロ自体には興味がなかったのですからこれは当然の結末でした。今にして思えば、パチスロでの体験から目に見えない世界のことへと意識が移行していったのかもしれません。

そうして私はパチスロの世界にさよならを告げ、二度とその扉を開くことはありませんでした。

windows95とインターネットの衝撃

時は1995年、windows95が世界中に一大センセーショナルを起こします。
日本では1998年くらいから本格的にwindows98が普及しはじめます。

それは私が社会に出て数年後のことでした。
世の中は急速に一家に一台パーソナルコンピューター、そしてインターネット時代の幕があがりました。

ある日の休日、私は家電量販店のパソコンコーナーで衝動的にパソコンを購入しました。当時は現代のように安価にパソコン環境を自宅に作り出すことはできませんでした。

初期投資金額は30万円を軽く超えました。
その段階では、自分でも何故パソコンに惹かれたのかわかりませんでした。

とにかくインターネットをしなければならない、そんな自分の中から湧き上がってくる純粋な衝動に従い自宅にネット環境を構築しました。

でもいざネット環境が整うとその後なにをすればいいのかすぐにわからなくなってしまいました。だから私はそもそもインターネットで何ができるのかを本屋で調べねばなりませんでした。

これは今となってはおかしな矛盾点ですが、当時はGoogleさえなかったので、まずは自分で検索するという文化すらまだありませんでした。

そんな折です、本屋のパソコン雑誌の隣のコーナーがゲーム雑誌のコーナーであったため、そこでオンラインゲームなるものの存在を知りました。

オンラインゲーム、私の中で新しい体験の予感がしました。
それはまるではじめからこの出会いが設定されているような感じでした。

不思議なことにこの時期に先に述べたパチスロとの別れがありました。
事実それからはオンラインゲームが、私にとってのライフワークの中心を占めるに至りました。

ゲーム自体が学生時代以来であり、ひさしぶりのことだったのですが、目新しい体験であったオンラインゲームの世界は実に魅力的でした。

新たに生み出されたオンラインゲームの世界は創造性にあふれるものでした。そんなオンラインゲームは久しく失われていた私の中の創意工夫の炎を燃え上がらせたのです。

子供のころに公園で友人とアイデアを出し合って遊びをクリエイトしていたあの感覚です。

自分自身で空想したアイデアを現実のゲームにしたり、漫画にしていたあの感覚です。

同時に私はパソコン自体を自作することをはじめました。
自作パソコン時代の幕開けです、何故なら当時は高価だったハイスペックパソコンは自分でパーツを組み合わせることによって安価に自分だけのパソコンが制作できたからです。

そうするうち、漠然とではありますが、パソコンの仕組みやインターネットがこの世界の仕組みによく似ていることに気づいたりしました。

そんなこんなでパソコン関連の目新しい知識や経験が私にたくさんの学びを与えてくれました。でもそれもはじめの数年だけでした。

オンラインゲームの世界にもこの現実と同じような流れ、周りをディスり、マウントをとり自分の正義を押し付ける流れがやってきました。

はじめは何もかも目新しい創造性豊かであったオンラインゲームの世界も長い時間プレイしているプレイヤー、課金額の多いプレイヤーのためだけのサービスに様変わりしていきました。

これは現在のモバイルゲームの課金システムの流れの先駆けとなったものです。あるいは一部のライブ配信者などへの過度なスパチャなども同じといえるかもしれません。

面白きこともなき世を面白く

ここで少し話が横道にそれることをお許し願いたい。

これはすべてに通じることなのですが、まずはじめに好奇心旺盛で創造性豊かな人たちがなにか面白いことをはじめます。

そうするとその周りに人垣ができてきます。そしてその人垣に気づいた人たちがさらに大きな輪をぐるりと作ります。

はじまりの人々を中心にたくさんの人が集まると必ず次のような人たちが現れます。

たくさんの人の目が集まっているのを利用して何か目立とうとする人(この人たちのすることは必ず取るに足らないばかりかつまらないものです)

たくさんの人が集まっているのを商機ととらえ、お金儲けをはじめる人(この人たちが扱うのはなぜか必ず胡散臭い商材です)

そうしてさらに乗り遅れた人々が急ぎ足でこの波に合流しようとします、この人たちはなぜこの人だかりができているのかということすら知らず、憶測で色々好き勝手言いはじめます。

それだけではなくこの波に乗り遅れた人たちは、先に目立とうとした人たち、お金儲けをしようとした人たちの模倣をはじめます。出遅れからくる焦燥感からそれらの言動はとても拙く見苦しいものです。

そして最も悲劇的なのは、この段階ですでに中心のはじめの人々はとっくに次の面白いことへ歩みを進め居なくなっていることです。

そのことに気づくことすらできない人たちは空しく時を過ごします。
そんな創造性を持ち合わせていない人たちだけになったコミュニティは急速に衰退していきます。

かつての2ちゃんねる、mixi、YouTube、あらゆるコミュニティで実際に起こった、あるいは現在進行形で起こっている出来事です。これまで何度も同じことがワンパターンに起こってきました。

悲しいながらこれが人間の寂しい性です。

それでは話を戻そうと思います。

ゲームやギャンブルに夢中になるということ

人間は繰り返しの作業をするとだんだん心穏やかになってきます。

これは自分の体の中にセロトニンなどの脳内分泌液がでて幸福感が上がるからです。ですので、ゲームやパチスロなどの繰り返し要素の多い娯楽はそのために選択されやすいのです。

学生や10代の若者は安価で手軽なゲーム、無料でできるスマホのモバイルゲームなどは最適解でしょう。

社会に出てからは、お酒や異性交遊、公営ギャンブル、花の金曜の夜。

このようにギャンブル依存症やゲーム依存症の本質は、自らと無関係の環境に身を置いている人たちに起こる自己防衛本能のようなものではないかと個人的に考えます。

学生の間に夢を持てず、将来への不安の中で、ついつい自分と無関係の進路に進もうとしている子たち。

そしてそのまま夢も希望もないまま地元の会社へ就職。
当然その仕事は自分が本当にやるべきことではないので憂鬱な毎日。

つまりは、個々人が置かれた環境がつらい場合ほど、ゲームやパチンコなどの遊戯に身を置いて自分の心を守っているのだとそのように思っています。

きつい現場などで働く労働者階級の人々。そうした環境に身を置く人々の多くは、自分のやりたいことを見つけられなかった、本当はやりたいことがあるのにそのことから目を背けている人が多いです。

だからこそ余計に何かに依存するような形でダラダラと自らと無関係の環境に身を置いてしまうのです。

例えば人と関わり合いになりにくい夜勤の単純作業の現場などの暗くてキツイとされる仕事です。

でも人間はそれらの自分と不一致の言動を通じて多くの学びをえます。

ここにパブロ・ピカソの言葉があります。
ある日ピカソは養女にこう聞かれました。
「学校の勉強や好きな絵の勉強をするのは何故なの?」
この問いにピカソはこう答えました。
「それはね、すべてを否定するためだよ」

ジーニアス ピカソ

つまりは自分と不一致なことをしていたとしても、それはやがて本当の自分がやるべきことを必ず後から連れてきてくれるということです。

物理的な行動から強制的に自分の人生をリセット

では自分や家族や知人がゲームやギャンブルなどにのめり込んでいる場合、その状況を変えるためにはどうすればよいのでしょう。

それは実は簡単です、何でもよいので現在の環境を変えてしまいましょう。

思い切って実際に物理的な様々なことを大なり小なり変えてみるのがよいでしょう。その第一歩はやりたくないことはやらないということです。

1.例えば職場の環境を変える
事前に雇用保険制度のことなどしっかり調べましょう、国はちゃんと様々な制度を作って国民が困らないような仕組みを作っています。
だから遠慮せずに必ず地元の自治体を頼ってください、これは国民の義務でもあります。

きちんと自治体の制度を頼ればしばらくはそれまでと変わらずに暮らせるでしょう。そうして半年から一年かけてゆっくり心と体を休めているうちに必ず様々なアイデアが自分の中から出てきます。

本来人間はそうなるまでは何もしてはいけないのです、でも現実には心か体がダメになってから気づくことがほとんどです。
自分とは無関係の周りとの比較からくる根拠のない競争意識、そんなことを何年も続けていればそれは命も削れるに決まっています。

まずは自分とは無関係の仕事関係の執着を自らの意志で手放すことです。

2.例えば引っ越す
人間は本来自然の中で共に暮らすものです。

歩いていける距離に自然はありますか?
山や川や海がありますか?
もし自然まで車で小一時間、そんな環境であれば考え直す必要があるのではないですか?

仮に生まれながらにそのような環境であったとしてもそれは関係ありません。ずっとそのまま都市部の人工物の中に暮らさねばならない理由など無いはずです。

仕事は言い訳にはなりません。
何故なら私たちは労働するために作られたロボットではなく、自分を生きるために生まれた人間だからです。

自分を生きるために必要であれば自宅を移動することなど造作もないことです。私たちが生きる場所こそが家(イエ)だからです。
その場所が自然の中であればなお素晴らしいことです。

3.例えば、パートナーとの関係性を見直す
ある日いくつもの偶然を超えて一つになった関係性に執着するのはよくわかります。でもその関係性は必ずしも永遠ではありえないのです。

お互いにたくさんの学びを得た後には良い意味でのお別れもあり得るのです。私たちの誰一人ずっと学校に通う人がいないのと同じことです。

パートナーシップにも卒業式があるのです。
相手と別れて一人になるのが怖い、それは相手に対しての依存心です。

仮に一時的に一人ぼっちになったとしても、あなたの前には次の相手がスタンバイしており列を作っているのです。
現状を長引かせるのは次の相手をずっと待たせている状態です。
なぜならあなたという存在は、この世界に唯一だからです。

これは小学校を卒業したら、次は中学校、そして高校、大学と進んでいくのと同じです。恋も時にはエスカレーターであり、エレベーターなのです。

4.例えば、家族との関係性を見直す
合わない両親との関係性、扶養責任のある存在、どうしてもその関係性に心穏やかになれないのなら無理に続ける必要はないです。

現代は介護や養育といった制度も様変わりしつつあります。
何でも自分だけで完結しようとせずに周りを可能な限り頼りましょう。

そういった社会的な制度を体験するために家族との心の確執に直面していることもありえます。
きちんとそうした社会の仕組みを調べて適切にそれらを活用しましょう。

そのことによってそれらの仕事に従事している人たちにも有意義な活動が与えられるのです。その人々から尊い活動のチャンスを奪わないで上げてください。彼らはまさにそのために存在しているのですから。

結局はあなたの固執した執着を手放すことによって自分の扶養する立場の人たちも安らぎを得るのです。相手もあなたの負担になっていることを気に病んでいるからこそ衝突が発生するのです。

そもそもあなたは本来、周りに対して物理的に何かをするのではなく。
あなたの家族に愛を伝えることが最優先事項ではなかったでしょうか?

日々の忙しさにかまけて本来の自分の使命を忘れてはいませんか?

今回ピックアップした4つの行動は一般的に現実からの逃避のように認識されていますが、これらも立派な自分の中から出てきた思いを行動に移したものです。

なんだかそんなにやりたくないのについついやってしまうこと、そんな依存心に抵抗感を感じてきたのであれば我慢するのではなく、何かしら自分らしく行動してほしいと思います。

何かに依存しなくていい自分らしい生き方とは

ギャンブル依存症やゲーム依存症とは、ただの誰かの作った言葉です。

どこの誰かもわからない、この世界が何なのか、人間とはなんなのか、自分とは何なのかもわかっていないような、そんな誰かが作った枠組みです。

そんなものよりも自分の心を大切にしてください。

自分の心をわからない人はこの世にいません。

だから大丈夫なのです。

いつだって自分の心の赴くままに生きていいんです。

かくいう私も当時、働く合間にゲームをコツコツプレイしたり、パチスロに勤しんでいました。成人してからもゲームなんてなにやってるんだろうと自分でも訝しむ気持ちもありました。

所詮はギャンブル、自分のような底辺の人間にはお似合いだと思っていました。でもだからこそ気づけたのです。

ゲームがこの世界の仕組みによく似ていることに、ひたむきに自分の思いに向き合った結果、なぜ自分がゲームやパチスロに惹かれていたのか、最終的に気づけたのです。

だから周りからゲームなんて、ギャンブルなんてと言われても気にしなくてよいのです。

この話はもちろん、ゲームに限らないことです。

文章を書いても暮らしていけないでしょ?
音楽なんてお金になるの?
スポーツなんてすぐにピーク過ぎて一生できないよね?
いまからYouTubeなんてもう稼げないよ?

繰り返しになりますが、こんな風にマウントをとってくるような周りは重要ではないのです、自分がそれをやりたいならとことんまでやってください。自分が惹かれるものがとにかく自分にとって重要なことなのです。

もし心の底から周りにとやかく言われたくないなら言われないように工夫しましょう。そうすれば最終的には自分だけのモノが自分の中から出てくるのです。

とにかく自分が体験したことによって得られた感覚からくるあなたの言葉が大事なのです。だから自分がやりたいことであれば何でもいいし、その結果などどうでもよいことなのです。

思い切り飛躍した言い方をするならば、例えば文章を書くことに惹かれていて、寝食を忘れて没頭して書きまくって、その結果全く売れずに餓死したとしても、それは稀有な体験なんです。

周りから見て成功している状態には価値はなくて、体験だけが重要だということです。そしてその結果、その体験をシェアすることが大切なのです。

ですのでなんでもいいから自分の中に思い付きが来たらすぐにそれをやってください。

もう本当に周りはよくて、自分自身がどうありたいのかだけなんです。
周りと比較してどうのこうのとかは本当にもうどうでもいいのです。

自分自身が自分のやりたいことをやりたい時にやり続けることこそが何よりの豊かさなのだということです。

本当の豊かさとは自分らしさということです。

あなたは自分のやりたいことをやりたいタイミングでできていますか?

「俺はそこら辺のゲーム依存症の子供たちと同じです」

日本のプロゲーマーのインフルエンサー、梅原大吾さんが昨年、自身のラジオ番組で発言した内容です。
とても興味深い内容ですので、有志の方が作ったまとめ編集動画のほうを最後に紹介させていただきます。

「これ(ゲーム)しかできないではなくて、これがいいから選んだ」
梅原大吾さんのこの言葉こそが魂の言葉です。

最後に愛する皆様へ

どうか自分を表現することをいささかでも躊躇しないでください。

あなたのその思い付きこそがこの世界の宝物なのです。

だからお願いします、これからも自分らしく在り続けてください。

そしていつもあなたであり続けてくれることに感謝します。

いつもたくさん読んでくださってありがとうございます。
今日も素晴らしい一日となりますように。

タイトルイラスト

SoNoさんよりお借りしています。
ありがとうございます。

プロフィール

私、那須ノの簡単な自己紹介となります。
惹かれたら是非ご覧ください。


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なすの
ここまで読んでくれたことに感謝。 これからも書くね。