それって本当に引きこもり?
私は二十数年前、約二年ほどの引きこもり状態を経験したことがあります。引きこもり状態といっても、人それぞれ人の数だけ状態の違いがあります。私の場合、休職(求職)状態が長引く中で日々自分が好きなことをするという、どちらかというと異様に活動的なニートでした。
非常に恵まれた環境にあった私は、金銭的な貯蓄もありましたし、趣味のパチスロで毎月暮らせるほどの収入を得て、好きな時に好きな場所にツーリングに行ったりと日帰り旅行のようなものも満喫していました。
夜はMMO(オンラインゲーム)で沢山の仲間たちと遊び、孤独感に苛まれるどころかむしろ充実感を持って日々を過ごしていました。
(余談ですがこの時に出会ったゲーム仲間の一人が私の現在のパートナー、出会ってもう二十年近くになります)
もちろん引きこもり状態の間、事あるごとに自己嫌悪になり鬱屈した時間を過ごすこともありました。ただいまにして思うにこの自分とトコトン向き合った数年間は自分だけのかけがえのない時間だと思えるのです。
修験者が山に籠るようなものであったと思えるのです。しかし、やはり実家の両親は心の中では心配していただろうと思います。それでも私を信じ何も言わず変わらずに接し続けてくれました。
結果的に両親のある種放任主義が功を奏したのか、私は何事もなかったかのようにまた社会へと復帰していきました。その後はゲームやギャンブルをすることもなくなりました。
社会復帰から数年後、現在のパートナーと一緒に暮らし始め今に至ります。
そのようであった私が『引きこもり状態』について思うことを書いてみようと思う。
人間だって冬眠する
『引きこもり状態』というのは、個人的には熊が冬眠する感じに似ていると思っています。人によって生活のリズムは個性があり、場合によっては熊の冬眠のようなことも起こるのだろうと思います。
『引きこもり状態』というのは、いわゆる不登校や無職状態や、積極的に社会活動に参加していない状態といわれます。
人によって就職活動にかかるペースは違いますし、人間関係への積極性についても個々人によって様々でしょう。
であれば、自分の生活サイクルにあわせた仕事や学校を見極めて選択することで、自分の尊厳を極力損なわず暮らせるという仮説。
人によっては、朝が弱いとか。
人によっては、夏の暑さに弱いとか。
夏休みやお盆休みやお正月休みやGW明けの五月病など長期休暇のあとにくる躁鬱で憂鬱な感覚の程度も人それぞれ。
古来より、『春眠暁を覚えず』なんて言葉がある通り、日常における体感も人それぞれ。
季節は巡りゆくものであり、年々違っていて当然。
私は毎年3月から5月くらいまで、花粉症の辛さを和らげるためにお薬に頼ります。ですがこのとき困ったことに抗生剤の強さのためか、別の症状が出てしまうこともしばしば、若い頃はこうしたこともなかったのですが、歳を否応なしに感じざるを得ません。
世界のリズム、時代のうねりもまたしかり。
あるいは、自分の体の右手と左手、右足と左足の違いについて事細かに観察しないくせに、自分と人との違いはつぶさに感じ取る。
自分以外の周りは、君は弛んでいるとか気合いが足らないなんて言いますが、それも致し方のないこと。何故ならひとりひとり生きるリズムは違っており、自分以外のことはわからない仕組み。ついつい他人も自分と同じようなものだと思ってしまいがち。
自分のリズムは自分にしかわからないから人を頼れない、日ごろから己との対話、内観が大切。
なんだかやる気が起きないという幻想
なんだか生きる意欲がわかない、その主な要因は無用とも言うべき将来への恐れや不安。
恐れや不安に突き動かされることにより、無理に周りに合わせて仕事や勉強を頑張る。
周りはみんなできているのに自分はどうして、と体に鞭をうち、精神に気合いを入れた結果、ストレスがたまり更に不調になる。
これが多くの現代人が抱える生きずらさの正体。
無用な頑張りによって、自分本来の生きるリズムからずれるうち、心身の不調が表れる。
人は一人一人違う、であればこそ、生きる周期は必ずしも一定ではなく、これを社会的に合わせて調節することはもはや不可能であり、個個人が何とか誤魔化しながらしがみつくより他にない状況。
そもそも同じ人間で姿形は似ていても、中身はまるで別であることを認識し、人と違っていることを気にかける必要はないのだ。
むしろ違っているのは喜ばしいことであり、誇りに思うべき、他人や社会に合わせるのではなく、違っている部分を活かせる所に行こう。
無理に周りに合わせ、お昼にスーツを着て働かなくていい。
社会自治とはつまるところ棲み分けや役割分担であり、現に夜勤の仕事などは現在でもいくらでもある。古来より職人さんは夜の明けぬ早朝から仕事をはじめ、皆よりも早く床に入る。
朝遅めに起きて、昼過ぎから行動を開始する人もいれば、夕方まで寝てそこから覚醒する人だっている。このように様々な習性の人がいてくれるお陰さまによって、多種多様な社会が育まれているのだ。
なんだかんだ周りの需要と自分の供給はマッチングする仕組みなのだ。
学校や会社にいくのが億劫なのであれば、この辺りに思いめぐらせてみてはいかがか。少なくとも自分が日々抱いている、嫌悪感について、取り越し苦労であろうことに思い至るのではないでしょうか。
やる気スイッチなんてはじめからない、自分らしく行動を続けるうちに『ありのままの自分』というスイッチがオンになるのだ。
世界のリズムが自分のリズム
自分のリズムに従わず、デタラメに生きているのは地球上では恐らく人間だけでしょう。自ずからストレスをため免疫のバランスを崩し、風邪をひいたり、最終的には自分の細胞が反乱を起こしてガン化する。
寝ていればいいのに、起きて不必要に食べるのですから当然の結果。
何かしなければといつも焦ってる。だからまずは何もせず落ち着ける状況を作り出すことだ。
波打ち際で波のリズムに身をゆだねていた際、なんだか気持ちがゆったりと穏やかになった経験はありませんか?
呼吸のリズムを波に合わせ自分本来の鼓動を心掛けよう。
月と太陽は逆回転に自転しているといいます。
もとより海から生まれた人間は月の周期の方にも多大な影響を受ける、この世にはお日様の24時間の周期と、お月様の28日間という二重の周期があると自覚することだ。
そもそも自分を何型とか分類しなくていい。昼型夜型そのどちらかというよりも、そのいずれもをという方が自然。
男性ホルモン、女性ホルモンそのいずれをも性別に関わらず誰もが持つように、その時々で絶妙なバランスにより同居しているのだ。
草食系、動物系といった相反する部分でさえも私たちのからだの中に面影として捉えることができるのだ。
右とか左とか、善いとか悪いとか、男とか女とか、そういうことよりも、その瞬間の自分の信じる選択をし続ける、それが信念であり真の祈りである。
自分の行動こそが正解不正解を超えた、祈りそのものだ。
引きこもりたいならそうすればいい、だがしかし、それもいずれ終わりを迎える。何故ならば、何年かかろうとも必ず自分の中の信念がこの世界に現出せしめるからである。
単に遅いか早いかという、ただそれだけの違いしかないのだ。