自分に嘘はつきたくないから相槌を打ち続ける
周りの愚痴や同調圧力。
全肯定するのではなく、相槌を打つのが好ましい。
つまり、相手への反応のバリエーションを増やし、相手に話を聞いて貰えていることへの心地よさを持ってもらいつつ、自分は肯定したくない他者の話を上手に受け流す術とするということだ。
具体的にどうすればよいのかというのに全くこだわる必要はない、というのもその内容は、はじめからどうでもよいからである。
あくまでも自分自身ができうる範囲内で、これまでと違う反応、とにかく今までのように、YESかNOかの二者択一から自らを開放することによって、自分の心を軽くするのだ。
相手の話に思いを巡らせることとは、身勝手なジャッジに他ならない。
自分とは、あくまでも中立、どこまでいっても中庸、中心であるからだ。
周りの意見を肯定的にも否定的にも受け取る必要はないのです。
不思議なもので肯定的とは多くの場合、自らに噓をつく行為となります。
一方で否定的とは、そのすべてが自分にとっての正解なのです。
でもそれは周りにとっては正義でも正解でもないのです。
ただそれだけ、だからこそ周りの話には常にふんわりした中立の反応を返していればいいだけなのです。そこであからさまにならないよう、そのテクニックを自分らしい方法で表現しようというお話です。
ですからまずは、相槌を練習しましょう。
そうしてだんだんと慣れてきたら、周りの反応をうかがいつつ少しづつステップアップしていきましょう。
そもそも自分が周りのためにできることは何もない、だからただ話を聞いて、相槌を打ってあげればよいだけなのだ。
であれば、自己防衛のためにも相槌のバリエーションを増やして、あわよくば聞き上手になってしまおうというものです。
自分という世界の特異点
自分に噓をつきたくない。
その思いからくる行動の結果、周りの話を聞いている内に、周りが味方だらけになり、自分が困った際には周りが合いの手を差し伸べてくれるようになり、自分自身の幸福感がいつのまにか高まったりする。
そうするうちに周りの人から話を聞くのにネガティブにならなくなり、むしろもっとあなただけの話を頂戴よ!
そんな風に自分が変化していることにも気付けるはずです。
やがて自分の周りには自分を助けてくれる人々の輪が幾重にも広がっていることにも気付けるでしょう。ここから後はもう自動的です、自分の創造を遥かに超える現実が押し寄せてくるからです。
当然の結果でしょう、自分らしくあればある程、世界の中心へと近づくからです、0ポイントを中心に世界は巡るからです。
自分を中心にその周りは大きな遠心力を得て巡りはじめ、後はもう誰にも止められないのです。
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最後に結論を言うと、結局のところは自らがどのように周りからの影響を受け取っているのかという話なのです。
自分には話を聞いてほしいと思っていてくれる人がいる。であるにもかかわらず、周りの話に難色を示しているのは、自分自身に他ならない。
繰り返しとなりますが、周りへの手前勝手なジャッジは不要です。
勇気を出して中立の立場をとるのです。
自分が世界の中心点であることを”今ここ”に宣言するのです。
世界はいつだって自分を中心に巡る。
だからもう肯定も否定も必要ない、自分だけの中庸こそがこの世界で唯一のモノだからだ。
自らの中の嘘か実か、今一度そのことに思いを巡らせよう。
この世界で唯一のモノ、つまり己の心ということである。