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嘘、大げさ、紛らわしい
綺麗に見せようとする、お化粧して、高価そうな衣装をまとい、いいカメラ使って。
大きく見せようとする、粉飾決済、学歴経歴詐称、僭称者。
強く見せようとする、大きな音を出して、出来レース。
知っているように振る舞う、○○賞、有識者、○○学者、大げさな文言で。
かりそめの善意などでは誰も救えないんだよ。心に空いた穴を埋め合わせるために弱者が存在しているわけじゃない。弱者には弱者なりの幸せを享受する権利がある。ひとりひとり救済の形は違っていることに気づけぬ人々が自分の価値観で物事を判断し人の人生にズケズケと介入してくる。
私はいつだってうるさいほどに、あなたはあなたのままでいいと言い続けてきた。しかしそれは、あなたにはそうあってほしいという、私の手前勝手な願望のようにも思える。
この押し付けがましい願望の出どころに心当たりはないけれど、きっと私に難しくてもあなたならあるいは、という期待と大切なあなたによく思われたいという安直な感情がそうさせるのだろう。
あくまでも、あなたの尊厳を傷つけたり、過干渉にならない程度に寄り添いたいという自然な気持ちの表れであればいいと願ってやまない。
私のある種押し付けにも似た日頃の記事を読んでいただけている皆様に改めて感謝申し上げたくて、本日はこのようなとりとめのない文章を書いている。着地点の定まらぬ結論も見出せないであろうにもかかわらず。
サブカルにすらなれない詩
大人になると泣けなくなるから、ワガママも我慢しなくちゃいけないから、かといって、なにか発散できる方法があるかといえばそうでもなく、自分の中へと負は蓄積されていく。
一体どうしてこのようなことになっているのだろう。これでは人生の意味を見失ったとしても致し方のないことではないだろうか。
垂れ流され氾濫する欲望の欠片、その中の一つに過ぎないとしても、分類されるってことは、少なくとも目には触れているということ。『今』と共鳴している。
人は現在、今だけをすれ違い続ける。
なのに、「大切な皆様へ」とか、嘘くさい。
けれど、見られなきゃタダのウタカタ。
そうやって自分を焚きつけて無理やりにでも明るいほうへと歩を進める。
その道が正しいかなんてわかりはしないのに。
自分のことも信じられないままに。
嘘でもいいからと、勇気という偽りの自己欺瞞。
汚らわしくても醜くても、弱くても流行じゃなくても。
読むに値しないチラシの裏のメモ以下であっても。
でも実はそうじゃない、表立って活躍するだけが能じゃない。
能ある鷹は爪を隠す。
磨くのは牙ではなく、心のほうだ。
縁の下の力持ち肝心要のあなたよ。
ただ純粋に自分の使命を果たせ。
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