心の歪みと認知のゆがみについて
一人ひとりが認識できる世界は、まるで違うって聞くと驚くでしょうか?
一人ひとりが見えている世界での体験は、違っているのだという話。
いつも怒っている人、イライラしている人っていますよね。そういう人たちは、ただ単に変だって、そう思われてきたと思います。でもそうじゃない。ただ見えている世界が違い、感じ方が違うだけ。
認知できる世界は一人ひとり違う、とそう気づけたとき、きっと寂しいと感じるでしょう。でもだからこそ、一人ひとりが見えている世界、一人ひとりの感じ方が大事。
だって、そのことを周りの人に教えるために、一人ひとり違って生まれてくるから。自分だけの感覚に誇りを持ち周りに伝えることこそ、自分にしかできないこと。なにも誇る必要はないけれど、ただ堂々としていたい。
周りと自分とを比べている暇なんてない、自分を表現することが先決。自分を表現し続けている間は、周りを否定したりなんてしなくなる。だから今すぐ手を挙げて、自分にはこう見えている、こう感じるって言ってみて。
だから私も、怖がらずにこの文章を書いてみたよ。
あなたが理解できないものは見なくていい。関係ないものだから。そんなことよりも、あなたがいま惹かれているものを意識しよう。
それこそが、あなたを待っているものだってことに気付こう。もう二度と自分と無関係な場所に行かないで。
一部ライブ配信などのコメント欄を見ていて緩む涙腺。なぜって、この世界の残酷さにです。
目立つ自分語りコメント、空気を読めず自分の家のように振舞い続ける。周りからの指摘も自分のことだと気づけない。
人は信じたいものを信じ続けるから‥‥‥。
残酷な世界だと思い込んでいる人にとって、この世のあらゆる出来事が歪んで見えて、例えば政府の実施する取り組みなどは、すべて国民から搾取するためだと思う。世界有数のIT企業は、何もかもを独占してしまおうとしていると感じる。
ネットのニュースを見るたびに、このような心持になっている人たちがいる、そう思うと切なさとやるせなさに心が苛まれます。その意味において、この世界は残酷。
家電製品のマニュアルを読まなくなったのはいつ頃からでしょう?
私は製品マニュアルが大好きで、新しい家電などを買った際には必ず初めにマニュアルを一通り読み、それから実際に製品を触ったものです。
現在のマニュアルには、あれはダメこれもダメという注意事項が所狭しと書かれています。企業は自分の社員と製品を守るための防衛策として注意書きを書き連ねる。
読解力は個人差が著しいから。読解力、つまり認知力が備わっていない人には、どんなに丁寧に時間をかけて説明しても理解は得られない。
無いものはないのです、やがて心が成長し理解できるようになるとしても、事は今まさに起こっていて、その時間を待ってはくれない。すべては今この瞬間に共有されているから。
もちろん認知がゆがんでいる人が悪いのではない。彼らとて幼年期の情操教育が上手に機能しなかった被害者。だからといって、周りのそうした彼らに手を差し伸べることはできない。
自分たちには自分たちの人生があり、愛する者がいて、やるべきことがあるから‥‥‥。
仮に自分の心や世界が歪に歪んでいたとしても、周りのせいにせず、どうしてそうなっているのか、自分を顧みる機会を与えられている。
自分と自分以外という相対関係において、強くそう感じるのだ。