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アートとは何ですか?!。

先日まで受けいていた講座で知り合った同年代の男の子。
講座が終わって2日後。

「よしたか君にとってアートとは何ですか?!」

突然、聞いてみたくなったそうで連絡が来た。

こういう系の話は嫌いじゃない。
むしろ大好物だ。
ショートケーキと同じくらい大好きだ。

せっかくなら、LINEで話すのではなくて会って話がしたい。
何なら、何かアート作品を共に見た後で話がしたい。

そう思った矢先
これまた講座で知り合った方が、たまたま個展をしているということで、その方の個展を見た後に話をしましょう、となった。

結局、もう1人加えて、三人で待ち合わせをして個展会場へ。
オープニングのパフォーマンスが終了後だったらしく、人がはけた後だったので、観覧客は少なめだった。

軽く挨拶して、各々好きなように作品を見て、説明を受け、また、好きなように見て、どの作品が一番気に入ったか、その理由はなぜか、というのを作家さんを前に議論した。

なんだかんだ、話をしていたら観覧客が自分たちだけになったこともあり、椅子を出して、座りながら喋ることに。

そこで議題になったのが、「アートとは何ですか?」
本日のメインディッシュだった。

各々、答えていく。

作家さんにとってのアートとは、
「心を反映するもので、人に委ねるもの」

自分の心のうちにある、言葉にできないような感情であれ、何であれ、その状態さえも、反映するものがアートとして生まれる作品であり、一方で、それはあくまで個人の表現として生まれたものではあるが、受け取り手の受け取り方は自由なものである。そこは、作家の思考や意図が及ぶものではなく、相手に委ねられて、自由に感じてもらうものである。
とのこと。


個展を一緒に見に来た連れ「A」にとってのアートとは、
「賛否があるもの、言い換えると、みんなが好評価するものはアートではない」

アートとは、賛否があるからこそのものだと思っている。なので、多くの人が否定しても、誰かに刺さればアートだし、みんなが好評価したら、それはアートではない、と思う。
とのこと。


個展を一緒に見に来た連れ「B」にとってアートとは、
「アートとは、光だ」

元々は、アートとは、人であるって思っていた。なぜなら、人がつくるから。けど、最近になって、アートとは心だな、とも思っていた。なぜなら、人の心から生まれるものであり、人の心に刺さるものだから。けど、何となく、今。アートとは、光だなって思った。誰かの何かを照らすもの。照らすものが何であれ、何かを照らすもの。光だなって。
とのこと。


最後、僕にとってアートとは。
その前に、僕にとって「アート」というものの定義を行った。それをしないと気が済まないのが僕である。

アートとは、「誰かにアートだと認識されたもの」である。
つまり、誰かに「アート」だと認識されれば道端の石ころでもそれはアートである。けれど、作家本人も観覧者も誰も「アート」だと認識しなければ、それは、ただの何かである。

その上で、僕にとって「アート」とは何か。言い換えると、「アート」というものが僕にとってどう意味のあるものか。

それは

「良くも悪くも、心に潤いを与えるくれるもの」である。

僕は、まだ、アートを受け取る側である。という前提がこの言葉には含まれている。加えて、良くも悪くも、というのは、アート作品が、自分の心に対して与える影響は、必ずしもポジティブなものとは限らない。

アートとデザインは、しばし、比較して用いられるが、
デザインを「課題解決、価値提案」のものとするならば
アートとは「課題提起、価値創造」のものである。

つまり、課題提起、価値創造の際に、取り上げる課題や価値が、ポジティブなものとして心に影響を与えるとは限らない。ネガティブなものとして表現し、届けるものであれば、それ、自分の心に対しても、その影響が及ばされる。

ポジティブな表現が良くて、ネガティブな表現が悪い、ということではない。
どちらも、心にとっては潤いなのだ。

目薬がソフトタイプかクールタイプかの違いくらいでしかない。でも、どちらも瞳に潤いをもたらすものだ。

僕にとって、アートとは、心の目薬である。

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