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No.61そのバイタリティーの源泉はどこに?
今日のヒトコト
今日は先に記事を紹介する。
先日、フォロワーになっていただいた、久藤あかりさんの昨日の記事を読んでみて、こういった分析は自分にはできる気がしないし、ここまで精いっぱい書こうとすることができない。
※久藤あかりさん、いつもありがとうございます。今回勝手に紹介しており恐縮です。
記事を読んでいて情報量が多いのは多いのだが(それは他のnoterさんも同様だろう)、何か文字が生き生きしていて、あかりさん本人として、書いている最中は楽しくて楽しくて仕方ないんだろうなーと思わせるような内容になっている。本人独自の視点で思考して書いているが、脳みそが凝り固まっている自分としてはどうしても一回で咀嚼できない・・・(何度かに分けて読もうと思っている)。
他のnoterさんにはもっと素晴らしい記事を書いていらっしゃる方が大勢いていつも楽しく読ませていただいているが、あかりさんの記事は何か本人の気持ちが前面に出ているような、バイタリティーに溢れている記事になっているのが印象的だ。
こういった生き生きとした記事を読むととても感心するとともに、畏敬の念も出てくる。職場にも「どこからそんなやる気がみなぎってくるの?」という人がいて、その人々のことを同僚が「バイタリティーオバケ」と呼んでいたので、あかりさんもこの言葉にピッタリだと思った(※)。
(※)自分が言っている「バイタリティーオバケ」は、畏敬の念を込めてのことで、同僚が言っている意味(揶揄?)とは異なります。
自分は根っからの省エネ人間で「仕事含め6~7割くらいできれば上出来」というゆるいタイプなので、このnoteについても自分の書きたいように書いているだけで、拙い文章ばかり書いているが、それ以上の力は出さない(出せない)ように無意識に制御している状況だと思う。仮に10割力を使おうとしたらとてもじゃないが保てなくなり続けられない。
こういった方々のバイタリティーの源泉ってどこなのだろうか。例えばnoterの皆さんの場合なら、仕事や家族の悩みをぶつけたいとか、失恋の傷を癒したいとか、フォロワー数増やしたいとか、アイツを見返してやりたいとか、様々な理由が源泉の方がいらっしゃるが、やはり一番は「書くことが楽しい」「いろんな人と交流したい」「自分の記事で役に立ちたい」という理由がバイタリティーの源泉であれば、長続きするだろうし、いろいろなnoterからのスキやコメントがあればさらにバイタリティー溢れる記事が書けるのだろうと考える。
あかりさんの場合は、「好きなことを好きに書いて、フォロワーの皆に伝えたい」というあたりが源泉だろうか(実はフォロワー数が源泉かもしれないので自分なりの解釈として・・・)。
最後に、昨日、あかりさんから私の記事の中にある写真にコメントして頂いたのだが、たまたま用事で近くを通りかかった時に何気なく撮った写真に対するコメントでさらに周辺のプチ情報まで頂いたので、とても気配り上手で「恐れ入りました」とコメント返しした・・・。
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近所のおにぎり屋のおにぎり
今日はテレワークだったので昼飯として