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号外「終戦から79年・『戦争論』は日本を極右にしたのか?」

(2024.8.15)

(お知らせ)
※今日は79回目の終戦記念日だ。戦後、長らく自虐史観に染められていた日本を変えたのは間違いなく「ゴーマニズム宣言SPECIAL『戦争論』」である。
 今では女性ですらネトウヨのインフルエンサーとなって“保守”を気取り、SNS上では日の丸や旭日旗を名前につけながら、排外主義や差別発言をするポストも散見される。
 一方で左翼は「『戦争論』がネトウヨを生んだ!」と言い、『戦争論』を曲解・歪曲しデマを流布している。「日本は極右だ」などというリベラルもいる。
 では『戦争論』が描いたものは何だったのか?『戦争論』とネトウヨの明確な違いとは何なのか?「日本は極右」なのか?79年経っても、日本が「自主独立」できていないのは何故なのか?
 お盆休みでも終戦記念日の今日くらい、じっくり考えてみよう!


ゴーマニズム宣言「『戦争論』刊行25周年」(2023.1.10掲載)


 昨年は『ゴーマニズム宣言』連載30周年だったが、今年は1998年の『新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論』刊行から25周年である。

 最近になって誤りに気づいた部分もあって、前々号のライジング(※ライジング Vol.454)で自ら公表したが、もちろんそれでこの本の価値が揺らぐことはない。
 そこで今回は『戦争論』25周年記念の第1弾として、わしがこの本で意図したことや、この本がもたらしたこと、そしてこれからの課題を改めてまとめておこう。自分で分析しておかないと、誰もやらないということもあるが。

 第一に、わしが『戦争論』を描くに当たって意識した点は、とにかくわし「個人」に読者を引きつけるということだった。
 目標としたのは歴史認識の見直し、特に大東亜戦争の再評価だが、いきなりそこから語っても普通の読者には届かない。なにしろ戦後の日本人はほとんど「太平洋戦争」という名称しか知らず、あの戦争が本当は「大東亜戦争」だったことすら知らないのだから。
 もしここで一般的な歴史教科書のような記述をして、歴史認識の論争に持ち込んでも、読者にとってはそれこそ全く別世界の出来事としか思えないものになってしまうだけだ。
 だから、読者にも感覚的に分かるようにするため、なるべくわし個人に引きつけるところから始めたわけである。
 わし自身が戦後生まれであり、現代の「ただれてくるような平和」の中で生きている。その日常の描写や、日本の「平和」に対するわしの違和感を述べ、その後も、幼少期から現在までのわしの感覚を私小説的に差し挟んで、大東亜戦争の時代との対比をしていくという展開にしている。
 これこそが、それまでの歴史の描き方とはまず異なるところであり、わしが意図的に行ったことだった。

 第二には、祖父の世代との連結を図ることに力を入れた。
 最初にわし個人のキャラクターに読者の関心を引きつけた上で、そのわしが自分の祖父の話を描くことによって、自然に興味が実際に戦争に行った世代にまで広がり、感情がつながるように構成したのだ。
 今の若者にとっては、戦争に行った世代はもう「曽祖父」になり、直接会ったことがないという人が大部分だろうが、25年前に『戦争論』を手に取った人の多くは、まだその祖父が戦争に行った世代で、普通に会って話ができたはずである。
 しかし自虐史観が蔓延していた当時の風潮の中では、たとえそれが自分の祖父たちであろうと、戦争に参加した者は悪であり、平和の敵であるという認識が定着してしまっていた。
 そのため、当時の祖父世代は戦争に関することだけは誰にも何も話すことはできないようになっており、孫の世代とは断絶が起きていた。
 その認識を覆し、戦争に行ったのは鬼でも悪魔でもなく、自分につながる祖父たちなのだということを捉え直し、祖父と孫の歴史を繋ごうとしたわけである。

 そして第三には、日本の国家としての主張を描こうとした。
 戦争をした当時の日本には、当然ながら日本の主張、日本の大義があった。
 しかしそんな日本の立場からの視点は、戦後の歴史観とは全く異なるものであり、語ることはタブーとされるか、または完全に誤った主張・プロパガンダに過ぎなかったとして否定されるだけになっていた。
 だが本当は歴史というものは、どんな国だろうと自国の主観で語るものだ。
 世界中のどこの国だって、歴史とはただただ自国の善、自国の正義、自国の誇りだけを語るものだ。自国にとって不都合な事実は抹消してしまうものだ。「そんな馬鹿な」と思う人はウブなだけだ。それが万国共通のスタンダードなのである。

 あのロシアでさえ、ソ連時代にスターリンという史上最凶の独裁者を生み、大粛清などで4000万人もの国民を犠牲にしたという巨大な負の歴史がありながら、これを全く無視して、スターリンの指揮の下にヒトラーと戦い、勝った我々は偉大だなんて歴史観一色にしている。
 どこの国だってそんな調子で、どんなに惨憺たる歴史しかない国だろうと、何も誇るべきものがなければ、無理やり捏造してでも誇らしい歴史を記述するのだ。中国もそう、韓国もそうである。
 それに対して日本は、捏造せずとも誇れる歴史はあるはずなのに、その全てにフタをして、わざわざ捏造してでも罪悪のみに染め上げた歴史ばかりを書いていた。
 こんなヘンなことをやっている国は、世界中でも日本以外にはない。あまりにも異常な行為が堂々と大がかりに行われ続けていたのに対して、わしは自国の主張をするという正常なことをしただけなのである。

 そうして『戦争論』を出版してみたら予想以上の大反響となり、結果として、それまで全体主義的に日本の言論空間を支配していた左翼が完全に衰退していった。
 そしてそれに代わって右側の勢力が強くなっていったわけだが、そうなったら今度は誰も彼もが右にばっかり殺到してしまって、ひたすら日本国賛美をした本を出せば売れるが、ちょっとでも日本のありかたについて懸念を示したりすると、見向きもされないという有様になってしまった。
 おかげで、この言論空間の大転換を起こしたはずのわしは、イラク戦争に対する日本の対応を批判したために、そこからはじき出されてしまったのである。
 その後、「日本スゴイ論」さえ書けば儲かるという状況が完全に出来上がってから、調子づいて乗っかって来た連中によって作られたのが今の保守論壇というものであり、そんな奴らの熱狂的な支持を受けて、安倍政権が成立してしまったのだ。
 ところが左翼連中からは「小林よしのりが安倍政権を生んだ」などと誇大に言われるようになり、左翼マスコミがチヤホヤしていた学生団体「シールズ」には居丈高に「責任とれ」とまで言われる始末となってしまった。あれからもう6~7年経ち、連中も30歳前後になっているはずだが、みんないったいどこ行った?

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