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結婚7周年!夫の“好きなところ100“を書いてみたら幸福感と自己肯定感が湧きあがった
「好きなところ100」という本をご存じですか?
相手の好きなところを100個書いて贈る、書込み式プレゼントブックです。
若い世代の恋人たちが甘い気持ちを込めてプレゼントすることが多いのだろうし、友人は子供にプレゼントしていた。いずれにせよ、きっと素敵な物語を生んでくれるであろう、コンセプトやデザインもチャーミングな一冊です。
私が本書の存在を知ったのは、発売当時のこと。いつか誰かにプレゼントしたいと思ったものの、なかなか思いつかずにその存在をすっかり忘れていた。あまりにストレートな愛の表現ゆえに、プレゼントできる相手は限られるなと感じたから。
しかし、今年の春、私はふと本書の存在を思い出し、結婚7周年を迎えた夫にプレゼント。すると、予想を遥かに上回る気づきと幸福感があったのでシェアしたいと思います。
私は結婚7周年の「夫の好きなところ100」を2時間で書きあげた
私が夫にこの本をプレゼントしようと思ったきっかけは、春先に夫の誕生日と自分のメルボルンへの1人旅の日程が重なったことだった。
夫の誕生日祝いもせぬまま旅立つことの小さな罪悪感と、自分のマイルを使って航空券を手配してくれたり、空港への送迎を担ってくれた彼への感謝も込めて書いてみたいと思った。
5日間の旅中に書きあげようと考えて、いちばん好きな色の「好きなところ100」を購入してバッグに忍ばせた。
しかし、メルボルンに向かう道すがら、トランジットで立ち寄ったケアンズの空港でもう100個を書きあげてしまった。所要時間、約2時間。途中からはオーストラリアのクラフトビールを飲みながら気分もスピードも上げてするすると。
友人は本書を子供にプレゼントするのにあたり、1ヶ月くらいかけてゆっくりと温めながら100個書いたと話していて、そちらの方が尊くて健やかではないかと思う。けれど、こちらも書き飛ばしたわけではなく、泉のように湧き上がって止まらなくなってしまったのだから仕方がない。
このエピソードを友人やVoicyにて語ったところ、「素敵!」「すっごいラブですね」とか、あるいは「夫の好きなところがそんなに出てくるなんて異常」「さすが物書き」などとつっこまれたが、私が爆速で夫の好きなところを100個を書けてしまったのは、明確な理由がある。
その人の本質が愛しいという感情は、入念な観察から生まれ育てっていく
光の速さで「夫の好きなところ100」を書けた理由の1つは、私が日頃からものすごく夫を観察しているから。
目に見えるもの、肌で感じること、言葉の奥にあるもの、家の空気が変わる瞬間、彼の仕事に対する思いの変化、友人にかけている言葉や態度……etc.
家という箱の中でともに住まい、家族というユニットを組んでいる。相棒である夫のことを、誰よりも何よりも観察している。ある時は虫眼鏡を持って細部まですみずみと見つめ、遠く離れている時間や空間の中で俯瞰して考えている。
私にとって、人を好きになるということは、誰かや何かを本質から好きになるということは、観察から始まる。そして、その観察が深まるほど愛も深まるという実感がある。
たとえば、名前も知らない花に心惹かれた時。その花に抱いた感動を曖昧なまま放置していると、いつかその感動は色を変えてしまい、記憶自体も曖昧になってしまう。
一方、その花について、どこがどんな風に好きなのかを五感や頭と心を使って味わってみると、感動は輪郭を持ち、彩度も上がる。花びらの形や香りの麗しさや、雌蕊や雄蕊のグロテスクさも自分にとっては好もしいことにも気づけると、その“好き“は、自分のモノとなり、長く心の庭に咲いてくれる。
何となく嫌いとか違和感を感じる箇所も、入念に観察することで好きに転じたり、愛おしさへと変わっていくことが多々ある。入念な観察は愛を育てる。これはやはり私の中では真理。
夫婦とは、入念な観察を行うのに最高の関係性だと思う。
40代まで恋愛を拗らせていたからこそ、相手の全存在を尊いものとして受け入れられるようになった
夫の”好きなところ100“を一気に書けた、もう1つの理由は、私は彼の存在をものすごくありがたく感じているから。
40代に入ってからの晩婚で、7歳年下の夫と結婚して7年。
そもそも結婚願望は強くなかったが、家族的な愛情には強い枯渇感と羨望があった。強い結びつきを築ける相手を求めて、20代、30代、40代頭にも、それぞれにハードな恋愛をして玉砕して(自爆ともいう)、ますます拗らせていた。
相手に抱いてしまった黒い感情にも苦しんだが、何より自分への信頼を失ったことが痛手だった。
ちなみに、30代の頃の恋愛観については、とある媒体でコラム連載して多くの方に読んでただき、書籍化もされている。
人間が他者をまるごと無償で愛するなんて、愛し続けるなんて無理なのだろうと打ちひしがれていた。
今思えば、自分にも問題は大いにあった。早くに両親と別れた私は、恋というより愛への欠落と憧れが大きすぎた。
「ボーイフレンド」(Netflixで配信中の男性同士の恋愛リアリティショー)のシュンのごとく、恋人に恋のみならず、失われた子供時代の愛を埋めてくれることを求めていた。求めているわりに、うまく伝えることも、相手の本質や欠落に気づくこともできなかった。
そんな恋の悔恨を味わい尽くした頃に現れたのが夫である。
これまでの恋人とは全く異なる。ドつくほどの理系な素朴男子。思考回路も経験値も私とは全く違うし、ロマンティシズムのかけらもない。恋愛経験はあっても、本質的に恋愛に興味はなく、自分の感情を言語化するのも苦手な人。
それでも、こちらの思考しすぎた言葉を彼なりに受け取って理解してくれようとする優しさと胆力がある。こちらが無意識にかけた愛情にすら、気づいてくれる感性がある。
一方、欠落も多い人である。思いやりは深いが、もしや人間ではないのかと疑うレベルで気が利かないし、モノの考え方や行動がユニークすぎるところも多々。
だけど、こちらも負けず劣らず欠落の多い人間だし、だからこそ、互いに深みまでさらけ出せて、支え合える部分もある。
(夫婦は破れ鍋に綴じ蓋こそ幸福である説は、こちらのコラムでも)
今や彼の欠落すら99%は愛おしい。相手の全存在を尊いものとして受け入れられるようになったことに、本書を綴りながら気付かされ、自己肯定感というものがふつふつと湧きあがった。
私は日常の中で、無意識に「好き」と「愛している」を100個以上、伝えていた
メルボルン1人旅から帰国した私は、さっそく家に到着するや否や夫に本書を渡した。 喜ぶだろうか、照れるだろうかと思いながら、期待を込めて手渡した。
この手のものに疎い男とはいえ、さすがに表紙を見てそのストレートなタイトルに気付き、「ありがと!」と笑顔で受け取ってくれたものの、思ったより反応が薄い。
「早くめくってみてよ」とこちらが急かすと、コーヒーを飲みながら、のんびりとページをめくりはじめた。感動を言語化することにおいては語彙力の少ない夫なので、そこは期待していなかったけれど、どんな非言語アクションで感動を示してくれるのか、私は目を凝らして観察していた。
夫は穏やかな笑顔を崩さず、1ページごとページ捲るたびにこうつぶやいた。
「知ってる」
「これも、知ってる」
「そうだね。知ってる」
彼は私があげた彼の好きなところを、全て「知ってる」という。
「なんでよ?」と拍子抜けしている私に夫は言った。
「だって、れいちゃん(夫は私をこう呼ぶ)がいつも言ってることじゃん」
たしかにその通りだ。私は彼を入念に観察しているだけでなく、それを言語化して伝えてもいたのだ。
愛の言葉を伝えていたという意識はなかった。
もちろん、それは私が感じたことを伝えたい、彼に自分の良さに気づいてほしいという、コミュニケーションの一環ではあったけれど。一方では、私のためというところも大きかった。
自分で選び、シンプルに好きだから一緒に生きているーーこの人のことを自分がどんな風に好きなのか、日々、細やかに言葉にして表現することでさらに理解して、思いを深めかったんだと思う。
無意識に行っていた行為が、自分にとっても、夫婦関係のおいても良い作用をもたらしていることを自覚して、私の多幸感と自己肯定感はさらに上がった。
夫婦という不可思議な関係性は、人間を大きく変える力がある
夫婦という最も身近な他人であり、主観的に選んだ運命共同体という稀有な関係性にこそ、「好きなところ100」を書いてみることをおすすめしたい。
結婚生活も5年、10年経過していれば、「今さら恥ずかしい」「夫が好きじゃないから書けない」という意見も少なくないに違いない(実際に私の周囲でも多い)。それもわかる。夫婦関係は千差万別、他の人間関係とは異なる独特の関係性だ。仲が良い悪いとか、好きと嫌いだけじゃ割り切れない複雑な感情や空気感があり、それは年々増していくものだから。
でも、だからこそ、書いてみてほしい。「らぶ!」というテンションじゃないとしても、相手に抱いている感情や思考を今一度、観察して言語化してみることは、なかなか面白い作業であり、意外な気づきも多いはずだ。
ちなみに、私が書いた彼の好きなところは「眠りが深い」「気が利かない」「度が過ぎるマイペース」「ハワイの結婚式で緊張しすぎていたところ(爆笑)」など、ぎりぎり悪口では? と取られかねないものもけっこうな割合を占めている。
それでも、そんなところこそ好もしく、私にとってはしっくりくると思えるのは、時と空間をともにして、たくさんの言葉と思いをかわしてきたからだし、彼もそれを楽しみ気に入ってくれていることも尊いなと、我ながら思う。
夫婦という関係性は人を、人生を大きく変える力があるなと改めて。
最終的には、こんなに圧の強い愛情とコミュニケーション欲を日常的にぶつけてくる私のことを受け止めてくれる夫に、ありがとうの気持ちがますます高まった。
「好きなところ100」を伝えても大袈裟に感動するでもなく、水を飲むようにさらりと飲み流してくれる鈍感で大らかな夫が好きだし、やっぱり相性いいなと思います。
🎧Voicyでもまた別な角度を交えながら語っております