私は『シン・ニホン』をどう読んだか
■『シン・ニホン』とはどのような本であるか
『シン・ニホン』はどのような本であるか.一言でいえば,「この時代を生きる人々の間の“共通言語”となるべき内容が書かれている」本である.ここでいう共通言語とは,単なる事実(ファクト)の集合だけでなく,基本的な考え方も含むものだが,いずれにしても,この時代を生きる人間として認識しておかなければならないことである.
例えば,気候変動の影響や生態系の変化などをデータとともに示していたり,データを連携し,AIを利用して新たな価値を生み出す動きが加速しているといった最先端の動きが事実(ファクト)として紹介されていたりする.
また,これからの時代,「リニアな思考では世界を読み違える」ので,「すべての変化は桁で考える必要がある」といった基本的な考え方,そして,そのような状況に対して,「今,技術的にできないからといって簡単に諦める必要はない」と考えればよいといった見方まで示してくれている.
■『シン・ニホン』との出会い
『シン・ニホン』は分厚いので手に取ることをためらう人もいるだろう.実際,私自身も行きつけの本屋で一度目にして手にとったが,購入には至らなかった.
ただ,手にとると実は意外と軽い.そしてめくりやすい.パラパラとめくりながらざっと書かれている内容に目を通すと,これまで新しい事業や仕組みを作る仕事に携わってきた私にとっては,よく見かける内容が多かった.だから,きっと新たな学びも少ないだろうと感じてしまったのだ.
二度目に手に取ったのは,日の丸を想起させる表紙が書店で平置きされて目立っていたことがきっかけだった.パラパラとめくっているうちに目にとまったのが「生き残れるかどうかはイシューではない」(p112)という言葉だった.
『イシューからはじめよ』(英治出版)は,2011年には読んでいて,これまでもいろいろな人におすすめしてきた.その著者である安宅氏が「どのようにすれば今の子どもたちやその子どもたち,また50年後,そして100年後に対してよりまともな未来を残すことができるのか」と問いかけている部分を読んで,「そんな思いを込めて書かれたのか…」と興味を覚え,改めて全てを通して読んでみようと思ったのである.
■『シン・ニホン』は誰がどう読めばいいか~それぞれの楽しみ方
そもそも私たちはなぜ本を読むのか?持っている知識レベルも分野や領域によって濃淡がある.しかし,本を読むことで,自分の接する世界を広げることができる.知らなかったことや参考になったことが書かれている部分は,しっかりと理解することで知識が増える.他人の経験を疑似体験できることもあるし,本の世界に没頭することで妄想を広げることもできる .
夏休みに入った娘と,「本って最初から最後まで全部読む必要はないよね」という会話をした.子どもたちも本を読むのが好きなようだが,そもそも私たちはなぜ本を読むのか,本を読むとどんないいことがあるのか,そんな話の流れの中で出てきた会話だった.『シン・ニホン』も,最初から全てを読もうとするのではなく,それぞれの興味・関心があるところから読んでいけばいいのである.
そもそも人にはそれぞれいくつかの立場がある.親であり,ビジネスパーソンであり,顧客であり,また,時として,余暇を楽しむ旅人であることもあるだろう.『シン・ニホン』は,さまざまな立場の人に参考になることが書かれていて,懐が深い.
成人した読者であれば,子を持つ親として,社会に貢献する仕事をするビジネスパーソンとして,また,社会を動かすための仕組みとなる政策を考える人として,本書の内容が参考になるところが随所にある.また,未成年であれば,これからの時代がどのような方向に向かうのかを知り,何のために何を身に付けておく必要があるかを知ることができる.
<学生や親,教育に携わる人>
例えば,学生や親,教育に携わる人などが認識しておくべき事実(ファクト)として,日本の大学が世界の中でどのような位置にいるのかといったことや,日本の若者たちが「持つべき武器」を与えられずに“戦場”に出ている状況が,データを交えながら記されている.国語や算数,数学やサイエンスについても,身に付けておくべきことは何なのかといったことが具体的に示されている.
教育に携わる人からみれば,「理文融合」など余計なお世話というところまで踏み込んで書かれているようにも見えるし,「異人」といった“ビッグワード”が出てきたりもするが,ビジネスの現場の目線で見れば,まったく違和感がない.
なぜなら,「虚心坦懐に現象を見る力,その上で分析的,論理的に物事を考え整理する力」は,昔も今も,たとえそれがデータ×AIの時代でなくても,誰でも持っていて損はない力であるし,そのような力が「何かをかぎ分ける力(“嗅覚”),統合して意味合いを考える力(洞察力)」につながり,新たな価値を生み出していくことにつながることを日々目の当たりにしているからである.
<ビジネスパーソン>
ビジネスパーソンには,「企業価値はハード軸を中心とした世界から情報・新技術をベースにした虚数軸をかけ合わせた世界,すなわち複素平面ゲームへと移行した」という環境変化をきちんと認識すべきだと教えてくれている.
考え方のOSを書き換えた上で,「ジャマおじ」にならないようスキルを刷新し,もう一度「ゲームチェンジ」を仕掛けていかなければならないと鼓舞してくれている.それだけでなく,「ビジョンから未来をつくる」方法論や「SDGsとSociety5.0の交点」こそ狙うべきといった目標の置き方についても示唆がある.
<政策担当者>
政策担当者としては,科学技術予算が圧倒的に足らない状況や,「主要国で唯一Ph.D取得に費用がかかる残念な状況」などが提示されているので,「国家の経営としてのリソース最適化」が必須だということを改めて感じるのではないだろうか.
このリソースの最適化については,具体的に,「3%で未来は変えられる」という示唆も提示されている.さらに,来るべき「Life as Value」の時代にどう向き合うべきかという論点も提示されている.
「風の谷」という構想や,その中で医療というインフラをどう位置付けるかという「菊の花構想」なども参考になるだろう.いずれも,誰ひとりとして取り残さない=“inclusive”や,「よく生きる」=“wellbeing”という考え方に通じるところがある.
■『シン・ニホン』が改めて気づかせてくれたこと
『シン・ニホン』では学ぶべきことがいろいろと並べられてはいるが,「知識が全てだ!」といった話にはなっておらず,「ファーストハンドの経験」や「生々しい知的,人的経験」の重要さ,「手を使う」部分が弱まっている危機感についても述べられている.
そして「人としての魅力」の育成についても重要とされている.「面白いことを仕掛けられるかどうかのかなりの部分は,運,根気,勘,そしてその人の魅力,すなわちチャーム(charm)」であるという部分は,いわゆる非認知能力と呼ばれるものの重要性を述べているところであり,実は,この部分を読んだとき,ハッとさせられた.
というのも,今は亡き母に言われたことを思い出したからである.母は常に一人の人間として私に接してくれていた.子どもの頃,そんな母が「あんた,友だちのいいところ,うまいこと見つけてるなぁ」と言っていたことが今でも記憶の奥底に残っている.友だちの「いいところ」というのはいわば「チャーム」であるが,私自身,これまで「チャーム」に魅了されて人と接してきたということ,また,面白いことを仕掛けるには人としての魅力が重要だということに改めて気づかされた.
ちなみに,知覚に関する文脈で,「1つでもいいから半ば変態的にこだわる領域を見つけることが,深い知覚を持つ領域を生み出す近道」ではないかと記されているところがあるが,これは,挑戦しようという意欲や,思いやりを持って他者に接するといった「非認知能力」を高めるところに通じるものがある.
ある一つの領域を深く究めることで,自分の中に判断軸ができて,小さな変化やちょっとした違和感に気づくことにもつながるが,そこに至る手前で,子どもが何かに夢中になる経験をすることが,単に集中力を高めるだけでなく,非認知能力を高めることにつながると言われている.このようにして高められた非認知能力は,人としての魅力にもつながっていくところだと思われる.
■『シン・ニホン』のもう一つの楽しみ方
最後に,『シン・ニホン』のもう一つの楽しみ方について述べておきたい.『シン・ニホン』では,「キカイは事例をどんどん吐き出す」が,それらを「見立て,新たに問いを立て深い気づきを得られるか」は,読者である私たちがなすべきところとされている.
そして,『シン・ニホン』には,この問いを立てるための素材がちりばめられている.『シン・ニホン』を「スプリングボード」として,問いを立てることにより,さらに深掘りしていくことができる.
実はここが『シン・ニホン』の一番の醍醐味だと感じている.なぜならば,さまざまな視点が交錯することで新たな気づきが生まれ,イノベーションにつながり,それらがすべて残すに値する未来に繋がっていく可能性が高まるからだ.
その醍醐味を味わうためには,信頼できる仲間や,心理的安全性が担保された「場」が必要である.今後,公式アンバサダーとして取り組む読書会は,その一つの場として,多くの人に『シン・ニホン』のさらなる面白さを体験してもらえるところになっていくことが期待されるのだと思う.
■『シン・ニホン』を読んだ今,私はこれからどうするか
『シン・ニホン』を読んだ今,私はこれからどうするか?私自身は,応援人種である部分が多かったように思う.ある意味,器用であり,さまざまなスキルを身に付けてきたがゆえに,誰かしらの何かしらの応援ができるいわゆる「引き出し」は揃えてきた.その傍ら,「起爆人種に感動し,インスピレーションを受け,一緒にこの動きに加わる参画人種」になりたいと思いつつ,いくつかトライしたものの,これまでうまく続いていない.
一方で,起爆人種になるきっかけが少なかったということもあるかもしれない.プライベートの部分ではいくつもの挫折があったが,起爆人種たらしめるだけの大きな義憤を感じたことはこれまで数えるほどしかなかったという,ある意味,幸運な人生を過ごしてきているのかもしれない.(あるいは,単にそのような不都合な事実を忘れてしまっているだけかもしれないが…)
強いて言えば,「もっとも経験値を積んだ熟練労働者(skilled worker)は能力と関係のない理由でいきなり退場させられる.まるで会社の澱のように扱われ,そして去る」という状況を早晩迎えることになりそうな状況については,少し憤りがあるかもしれない.ただ,それはまだ私憤であり,自分の中でハラ落ちした「世に問うべき義憤」にはなっていない.
4人の子どものうち,まだ2人が巣立っておらず,これからいろいろなことがあると思うと,それぞれの子どもが「引っかかることを優先し,そこから生まれる気持ちを育てる」といった形で見守っていたい.そして,啐啄同時という言葉にあるように,適切なタイミングで子どもたちの興味関心を広げたり,ロールモデルを提示したりしていきたいとも思う.さらに,少なくとも子どもたちに対しては,単なる応援だけでなく,できれば子どもたちが描く未来に「参画」もしていきたいと思う.
『シン・ニホン』の冒険はまだ始まったばかりだ.一緒に旅をする仲間を常に探し続けている.意気投合できるかどうかだけが条件で,性別年齢容姿経験不問!一緒に旅をする仲間とともに,残すに値する未来を創り出す旅を楽しんでいきたい.