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世界史Vol.4「古代オリエント世界」①メソポタミア文明シュメール人
今回シュメール人について復習のつもりでいろいろ調べてみましたが、単純に教養として学ぶ以上の考えさせられるテーマに出会いました。シュメール人は大きな都市国家を築き、高度な文明を発展させますが、やがて衰退していきます。その原因について、エネルギー消費が激しい現代を生きる私たちにも学べることがあると感じたので、これからの未来を考える糧にもしていただけたら何よりです。
以前までは人々が集住し都市国家を形成するところまでを見てきました。これまでの狩猟・採集を行う移動型の生活(獲得経済)から、自ら食べ物を作り出すことで定住(生産経済)し人口を増やすことができました。また、定住化と人口増加によってこれまでとは異なる文化(文字や土器など)も誕生しました。
それでは、ここから古代文明における国家の誕生について見ていきたいと思います。人々が特定の地域に集まって暮らすことで、そこでの食料や家畜の管理、外敵からの防衛が必要になってきます。
古代文明といえば、メソポタミア、エジプト、インドや中国が有名です。その中でも今回は、メソポタミアで生まれた国家についてまとめていきたいと思います。今回古代のオリエント世界を見ていきますが、オリエントというのはラテン語で「日の昇るところ」という意味になっていて、メソポタミアやエジプト、その間の小アジアのこと指しています。
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よく見ると馴染みのある地名が見られます
一般的な導入の問い
「文字」は何のために発明されたのか
私たちが現在当たり前に使っている文字は、元来どのようにして生まれてきたのでしょうか。そもそもコミュニケーションは会話でのやり取りから始まるため、会話では補えない特性が文字にはあるはずです。シュメール人が文字を発明するのは、どのような背景があったからなのでしょうか。
メソポタミアで、太陽よりも「月」で時の流れを把握したのはなぜか
私たちは現在、1年12ヶ月365日という単位で日時を把握しています。これは太陽暦といい、日本でも明治時代に導入されました。古代のメソポタミアでは、一般的に太陰暦という月の満ち欠けで日付を把握していました。それでは、当時はなぜ太陽ではなく月を基準として考えたのでしょうか。また、月の満ち欠けで日付けを見る場合に起こる問題点はどのようなものがあるのでしょうか。
noteまとめ
「メソポタミア文明(前3500年前頃から発展)」
シュメール人が都市国家を形成
◯メソポタミア地域の農業
乾燥した地域、大きな河川(ティグリス・ユーフラテス川)がある
灌漑農業で農業生産性が高くなり定住生活へ
紀元前3000年頃からシュメール人の都市国家が現れる
ex.ウル、ウルク、ラガシュなど
◯シュメール人の文化
・多神教(都市ごとに神が存在する)
・楔形文字(19世紀にイギリスのローリンソンが解読)
→2000年後のアケメネス朝ペルシア「べヒストゥーン碑文」で発見
・60進法→時間や角度で現在も使われている
・太陰暦→月の満ち欠けで1ヶ月を定める
(少し時期がずれて農業に適さなかった)
・ギルガメシュ叙事詩(ウルクの王の話、『旧約聖書』に引き継がれる)
麦の収穫量が圧倒的だったメソポタミア
メソポタミアは、ほとんどの方がこの地域の名前を聞いたことがあると思います。しかし、実際に今のどの国がある辺りなのかというイメージまでは難しいかもしれません。メソポタミアというのは、ギリシア語で「川の間」という意味で、ティグリス川とユーフラテス川の間は「肥沃な三日月地帯」として農業が発展して行きました。場所は現在のイラク辺りです。
この地域の麦の生産量は、オリエント世界の中でも紀元前2000年頃まではかなりのものだったそうです。灌漑農業が発達し、人口が増加するにつれて前3500年頃からシュメール人の集落が都市に成長していきます。これがメソポタミア文明です。
当時のメソポタミアで行われていた農業は特に発展しており、麦の収穫量が現代と同じかそれ以上で、古代ローマや中世ヨーロッパの時の収穫量よりも多かったとされています。農業生産性が高くなると、余剰生産物が豊富になり、交易が活発化して都市が発展していきます。そういった農業生産の記録は粘土板に記されており、そこで楔形文字が使われていました。そしてさらに、都市と周辺地域を王が支配する都市国家へと成長していきます。
都市国家の守護神と神々の力
多くの人々が住むシュメール人の都市国家では、王が神の代理人として人々を支配するようになり、政治や軍事の権限をもつようになります。これを神権政治といいます。
シュメール人の都市国家ウル、ウルク、ラガシュにはそれぞれの守護神がいて、ウルは月の神、ウルクは愛と戦いの神、ラガシュは農業と狩猟の神が、神殿のジッグラト(聖塔)に祀られます。シュメール人の土木技術はかなり高く、ジッグラト(聖塔)は20mぐらいありました。複数の神がいたことからシュメール人は多神教で、ユダヤ教やキリスト教などのように一神教ではありませんでした。
現代にもつながるシュメール人の文明
シュメール人は高度な文明を持っており、現代につながるものをいくつも残しています。彼らが使用していた太陰暦は、月の満ち欠けによって日付けなどを確認します。当時は月の形で判別する方が分かりやすかったため、この考え方が導入されました。しかし、月の満ち欠けで計算すると1年が354日になり、11日少なくなります。そのため、農業に必要な季節とずれてしまい紀元前2000年頃には閏月という調整するための1ヶ月を設けるようになりました。やがて、エジプトで使われた太陽暦が一般的に使われるようになります。
次に、六十進法は現在の時間の単位や角度に使われています。調べてみると、月が地球の周りを周る回数が1年で12回であったり、両手の指が10本であることで、それらの最小公倍数として60が採用されたという考えがあるそうです。また、片手の指の本数の全てで割り切れる数字として60が使われていたという考えもあります。こういったことを調べたり考えたりするだけで歴史の面白さを感じます。
次に記録用の媒体として印章も発明されました。円筒印章の図像や文字を転がして粘土板に押しつけ、長い絵が浮かび上がるようになっていました。その印章はひもを通して首から下げることになっており、その持ち主の地位を表しています。その記号や絵文字がやがて楔形文字になり、粘土板に記録されます。
粘土板に刻まれるようになった楔形文字は、シュメール語以外にもいろんな民族の共通の文字になっていきます。初めは記号として使われていたものも、やがて税金を管理するために文字が生み出されます。それは、多くの人が集まる都市国家だったからこそ必要だったのです。
メソポタミア文明のシュメール人の名前や活動の詳細が解明できたのは、彼らが残した文字があったからです。この楔形文字は、現存最古の文字とされています。つまりシュメール人の時代は、先史時代とは異なる歴史時代であることを示しています。
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この楔形文字は、2000年後のアケメネス朝ペルシアでも使われます。この王朝についてはまた詳しくまとめますが、アケメネス朝ペルシアの王ダレイオス1世の功績が「ベヒストゥーン碑文」に記録されており、これが楔形文字を含めた3つの言語で書かれていました。それをイギリスのローリンソンが、他の既に解明済みの文字と照らし合わせ解読したことで、19世紀に楔形文字で示された内容がわかるようになりました。
ちなみに、べヒストゥーン碑文は地上100メートル以上のかなり危ない絶壁にあったため、彼は命がけで模写をしたと言われています。実際に写真で見てみると、崖の上の方にあることがわかります(自身の名前の落書きを残したとか)。
シュメールの神話と『旧約聖書』
1週間が7日というのはシュメール人の考え方(月の満ち欠けが1ヶ月でその1/4だったことが関係していたそう)で、やがてユダヤ教の『旧約聖書』に引き継がれて行きます。『旧約聖書』の創世記第1章では、神が世界と人間を創造する期間が7日になっています。
また、『旧約聖書』に登場する「エデンの園」は実際にシュメール人が住んでいた場所の名前が由来だったと考えられています。豊かな土地を持つシュメール人たちが住む場所を楽園と考えたヘブライ人(ユダヤ人)が、自分たちの不遇を表すためだったのかもしれません。
その他、「バベルの塔」はシュメール人の神殿ジッグラトがモデルになっていたり、「ノアの箱舟」も『ギルガメッシュ叙事詩』に登場する話に似ています。ギルガメッシュとはウルクの王です。この話に登場する洪水はシュメール人にとって身近なものだったので、メソポタミアで広がっていた洪水に関する神話が影響したと考えられています。
こうして、メソポタミア地域の周辺にある森林を伐採し大きな都市国家を築き、灌漑農業でシュメール人の都市は発展していきました。しかし、都市の発展とともに行われた森林伐採はかなり深刻だったようで、小アジアにたくさんあったレバノン杉は伐採し尽くされ、その後シュメールの都市国家は木材をインダス川から輸入するようになります。しかし、発展の犠牲となった森林の減少により、土地の塩害や洪水が深刻化しました。これが原因で農業生産が落ち込み、シュメール人衰退の原因となったと考えられています。
まとめの問い
シュメール人の文化と私たちの生活
シュメール人の文明がもつ特徴について、以下の語句を用いて説明してみましょう(160字程度)。
(都市国家、多神教、楔形文字、アケメネス朝ペルシア、六十進法、太陰暦)
シュメール人の都市国家はウル、ウルク、ラガシュなどに分かれており、それぞれの都市に神が存在したため多神教であった。また、税金の記録をするために楔形文字が発明され、2000年後のアケメネス朝ペルシアでも使用された。その他にも、60秒、60分のように60を単位とする六十進法や月の満ち欠けで日付けを確認する太陰暦も用いられた。
自然と人間の関係を考える
もし私が世界史の授業をするなら、この記事で公開されている文章を生徒たちと見て議論したいと思います。非常に興味深い内容が書かれており、マガジンにある他の記事もすぐに読みたいと思うようになりました。
『ギルガメシュ叙事詩』では、ウルクの王ギルガメシュと友人のエンキドゥがレバノンの森の番人フンババを殺害する話があります。これは森を手にしたギルガメシュの英雄話とも言えますが、自然と人間の関係もこれにより変化したと考えることができます。それはどのような点なのか、そして現代の私たちが抱える問題などとのつながりを考えてみても面白いのではないでしょうか。
以上が、現代の私たちの生活ともつながるシュメール人の文明の発展と衰退までをまとめました。次回からは古代オリエント世界を統一した国家について見て行きたいと思います。
学びを深めるリンク集
https://www.tr.yamagata-u.ac.jp/archive/morinojikan/morinojikan113.pdf
<参考にした文献>