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違う傘で帰ってきた

買い物を終え外に出ようとして、はたと手が止まった。自動ドアの横に置かれた傘立てには、大小さまざまなビニール傘が入り乱れて刺さっている。これといって特徴のないビニール傘でやってきたために、これでは一体どれが自分のものだか分からない。困った。

試しに目ぼしい一本を握ってみる。自分のものよりも持ち手が心なしか細く、しっくりこない。続いてもう一本。こちらにはまだ持ち主の手の温もりが残っている。慌てて手を離した。他の傘は明らかに背丈が低かったり、持ち手が黒かったりと、一目で私のものではないと分かる。どうやら私の傘は何者かに持ち去られたらしい。

仕方なく最初に手にした一本を抜き出して、コンビニを後にした。雨の中、アパートへの道を歩きながら、私は持ち去られた傘の行方について考えてみることにした。新しい主人と出会った傘は今頃どこにいるのだろうか。

郊外に建つ立派な邸宅に連れ帰られ「よく来たわね、今日からあなたもこの家族の一員よ。ところであなたご出身はどちらで?」などと尋ねられながらマスカットの香りがする紅茶とマーブル模様のクッキーを差し出されているかもしれない。
電車に揺られてうらぶれた港町にたどり着き、漁業組合の小さな休憩所で煙草を吹かしながら、一日の労働を終えた漁師たちと安酒を酌み交わして笑っているかもしれない。
偶然テレビドラマの撮影現場に出くわし、新人ADのミスで壊れてしまった傘の代役として急遽出演することになり、その演技が業界関係者の目に止まった結果、突然芸能界デビューを果たすかもしれない。
想像すればするほど、ビニール傘の可能性は果てしない。

考えてみるとビニール傘というのも因果な存在だ。数え切れないほど多くの人の役に立っているはずなのに、誰から愛着を持たれるでもなく、それどころか簡単に置き忘れられたり、違う傘と取り違えられたりする。取り違えられた傘は、見知らぬ人からまた見知らぬ人へと渡り、見知らぬ町へと流されていく。そしてたとえどんなに雑に扱われようとも、持ち主を雨から守るという傘本来の使命だけは忘れない。強風が吹けばその身を挺して主人を守る。挙句、ボロボロになって路上に捨てられてしまうこともあるというのに。

ああ、ビニール傘がこれほど健気で悲しい存在だったとは今まで思いもよらなかった。きっと傘たちはそれぞれに誰にも知られない物語を秘めながら、この世界を必死に生きているのだ。ただの傘にも歴史あり。私はこれまでの人生におけるビニール傘の扱いを反省し、この先はもっと大切に使おうと心に決めた。

しばらく歩いて我が家へ辿り着く。部屋の鍵を開け、精一杯の感謝の気持ちをこめながらビニール傘についた水滴を丁寧に払い、玄関の傘立てに入れた。雨に濡れた靴を脱ごうとしているとき、突然聞き慣れない声が聞こえてきた。

「なんや、汚ったないアパートやな。昨日までは医者の先生の家でのんびりやったのに。ほんま運無いわ。そもそもな、ワシ雨嫌いやねん。なんでお前らのためにわざわざワシが濡れなあかんねん、都合良すぎやろ。あーあ、誰かもっと降水量の少ない所連れて行ってくれんかな。やっぱあれかな、晴れの国いうぐらいやし岡山あたりがええかな。いや、そんならいっそハワイがええわ。せや、誰かハワイ連れてってくれ。あーほんま働きたくない」

やはりビニール傘は所詮ビニール傘だ。私は次の梅雨までにはきちんとした傘を買おうと心に決めた。


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