四分音の響き
今日は現代音楽の演奏会に行ってきた。学割が使えるのはありがたい。作曲家の山本裕之氏の個展で、「四分音」が一貫したテーマになっていた。
「四分音」とは、半音をさらに半分にした音程のことである。これが、何とも心地良かった。
ピアノや木琴の音程はだいたい均一になっている。だから、厳密に美しいハーモニーとはいかずとも、ある程度は整った音程で各音同士は認識される。
その中でも、完全4度や完全5度、そして完全8度といった音程は一般に整って感じられやすく、長3度は心地よさを感じやすい。
ただ、いろいろな音楽的背景を持っている人、特に民謡や民俗音楽に親しんできた人にとって、これらはどこか整いすぎていて、魅力に乏しいことがある。
特に日常の中で、もっと音同士が干渉しあい、うねりを持つような音が恋しくなることがある。
短2度、つまり半音は、人の心をときめかせる音程の一つだ。整った音程に対して、「ひずみ」とか「汚い」なんて言われる響きだが、ポップスにも使用されるように、文脈によっては音楽に彩りを与える。
ただ、それすらも凡庸で整ったように感じられてくる。もっとゴツゴツとした質感を持った肌触りが欲しくなることがある。
そうした中で、半音をさらに細分化した「微分音程」が登場するわけだが、その中の一つである「四分音」こそは、何とも美しい響きを持っている。
微分音を用いるときに、それらは時にポルタメントとして、時間的な流れの一瞬間として現れる。もしくは、基となる音との差分として知覚される。
しかし、「四分音」はそれは完全に音階として知覚された。目盛りのはっきりした音程と言ってもいい。それらは初めからそこにあったかのように(そこにあったわけだが)、はっきりと存在していた。
それくらいに、「四分音」を用いた音楽は美しく、いっそ「整って」感じられさえした。
私自身、微分音として認識する音楽に触れることはあっても、「四分音」として認識する音楽に触れることはなかったと言っていい。
だから、今回それと認識した状態で「四分音」に触れたとき、そこに明確な美しい響きを感じた。整った「うねり」はとても心地良いものだった。
その響きは半音よりもずっとぬくもりに満ちていた。僕はこの「四分音」による音階で作られた木琴が欲しいと思った。半音という仕切りに収められた木琴には遠い場所にある魅力的な響きがそこにあった。